こころのしずく 第03話
『第02話』の続きっぽく。
思えば神子を初めて書いたような気がします。
霖之助 こころ 神子
「マスター、倉庫の整理終わりました」
雑然とした店内に、静かな少女の声が響く。
霖之助が作業の手を止め視線を送ると、掃除道具を抱えたこころが入ってくるところが見えた。
「ありがとう。何か変わったことはあったかい?」
「いえ、これと言っては特に」
はたきを戸棚に仕舞いながら、ゆっくりとこころは首を振る。
箒を立てかけ布巾をたたんだところで、ふと彼女は思い出したように声を上げた。
「あ、でも」
「うん?」
「いくつかの道具が暴れたがってたので宥めておきました」
「それはなんとも……すまなかったね、ありがとう」
「これくらいお安い御用です、マスター」
誇らしげに薄い胸を反らしながら、変わらぬ無表情で彼女は言った。
福の神のお面を抱えているあたり、嬉しい気分であるらしい。
こころが修業にやって来て、かれこれ二週間ほど経っただろうか。
住み込みという形で居座る彼女に、霖之助は宿代として香霖堂の雑務を任せていた。
言うまでもなく、香霖堂にはいわく付きの道具やマジックアイテムが数多く蒐集されている。
その中には周囲に影響を及ぼすものも珍しくないのだが……幸いなことに、最高位の付喪神である彼女の前ではたいていの道具は大人しくなるらしい。
加えて感情を操るこころの能力をもってすれば、やんちゃな道具を宥めることなど朝飯前と言うことだろう。
異変の時、屋台に売ってあるお面から希望を抽出して希望の面を製作していたと聞いていたが、まだいろいろな使い方が出来るのかもしれない。
もちろん霖之助も道具は大事にしているつもりなのだが……。
使い方がわかるまでそのままにしてあるものや貴重すぎておいそれと使えないものもあるので、こころが面倒を見てくれる現状はとても助かっていた。
「あと手入れして貰いたがってる子がいくつか居ましたから、面倒見てあげてくださいね」
「了解したよ。あとで店内に運んでおいてくれるかな」
「かしこまりました」
恭しく頭を下げるこころ。
その仕草は先日店に来た紅い館のメイド長から学んだものだ。
……影響を受けやすいのが、彼女の長所であり欠点である気がしてきた。
「それから今日は空の機嫌も良さそうなのでお洗濯ものも干しておきました。日が沈む前取り込んでおきます」
「そうか……いや、助かるんだけどね」
「マスターのためですから」
そう言って彼女はオカメの面を取り出した。
喜怒哀楽の基本的な感情は、もうだいぶマスターしたらしい。
それにしても最近の彼女は行動までメイドらしくなってきたようだ。
そこまでやらなくてもいいとは言っているのだが。
……本人が上機嫌なので、強くは言わないでいた。
「こちらも預かってたお面のメンテナンスを済ませておいたよ。しばらく使ってみて、調子が悪そうだったらまた言ってくれ」
「ありがとうございます。助かります」
「なに、バイト代みたいなものだからね」
修理品なども一目見て悪い箇所を見抜ける彼女は、助手としても至極優秀だった。
これくらいのサービスがあってしかるべきだろう。
「しかしもうこんな時間か」
霖之助は作業を一段落させると、立ち上がって大きく伸びをした。
霊夢から新しい巫女服と道具を頼まれたのだが、集中しすぎたらしい。
気がつけばもうすぐ昼食時である。
霖之助はもちろんのこと、こころもそれほど食事が必要ないらしいのでいつも昼食は食べないものの、休憩するにはいいタイミングだった。
「道具の手入れは午後からにしよう。とりあえず一休みしたらどうかな」
「はい、ではお言葉に甘えて」
彼女はそう答えると、いつもの席に座って漫画を広げる。
この光景もすっかり日常になってしまった。
それにしても、と霖之助はこころを見て思うところがある。
能楽の始祖、秦河勝はかの聖徳王から66の面を賜り、天下泰平のために舞を捧げたという。
つまり面霊気であるこころは天下泰平のシンボルというわけだ。
そして今、天下を取る程度の力を持つ草薙の剣もまた香霖堂に納められている。
この二つが揃ったことはただの偶然だろうか。
もしかしたら何か意味があるのではと考えざるを得ないわけで。
「いや、ただの偶然だろう」
「……人の思考と会話しないでくれないか」
突然割って入った声に、霖之助はため息で返す。
そして疲れた表情で、店の入り口に立つ人影視線を向けた。
……また新たな面倒事を、予感しながら。
「こうやって会うのは初めてだったかな。噂は聞いてますよ、森近霖之助殿」
霖之助の向かいに座り、聖徳太子……厩戸皇子の異名を取る彼女は、軽く会釈をしてみせた。
その特徴のある髪型がつい目に入るが、気になるのはむしろ彼女が身につけたヘッドフォンだ。
最初何か聞いているのかと思ったのだが、霖之助の目には音を遮る用途と映った。
ひょっとしたら何かのリミッターなのかもしれない。
「こちらこそ、太子様のご高名はかねがね。里で2、3度すれ違ったくらいでしたね」
1400年の時を経て復活した仙人の話は霊夢達から何度か耳にしたことがある。
油断ならない人物だと言うこともまた、寺の住職から聞き及んでいた。
彼女たちの敵対関係はわりと有名なので、話半分ではあるのだが。
「そんなにかしこまる必要は無いよ。今日の私は客ではないのだからね」
「……今後のための挨拶なら、より一層の体裁というものが求められるはずですが」
「私にとって外面だけ取り繕ったものほど無意味なものはなくてね。
だからいつも通りで結構。噂は聞いている、と言っただろう。誰に対してもぞんざいな扱いをするらしいじゃないか」
「誰がそんなことを……と、聞くだけ野暮かな、まったく」
別に霖之助も好きこのんでそういう対応をしているわけではない。
上客に対してはもちろん、上客になりそうな相手にも礼儀を欠かすことのないよう気をつけているつもりだ。
しかしどんな上客も……主にどこかのメイド長のせいなのだが、次第に要求がエスカレートしていくのが世の常というもので。
いちいち付き合っててはこちらの身が持たないため、ほどほどの折り合いを付ける意味でも必然的にそういう対応になってしまうのだ。
どのみち香霖堂に来る人妖は客など一握りなのだから、初めからぞんざいな扱いでも問題ないとも言えた。
「それにしても……」
「何か?」
可笑しそうに……あるいは楽しそうに、神子は含み笑いを漏らす。
「いや、先ほど貴方の欲を聞かせてもらったのだが、これほど思考と欲がずれている者も珍しいと思ってね。
天下に思いを馳せつつ、その実かき立てる欲がないということはつまり……」
「……何の話かわからないな」
「失礼、話が逸れたようだ」
コホンと咳払いひとつし、彼女は居住まいを正した。
出された湯飲みを傾け、ため息ひとつ。
例によって一番安いお茶を飲みつつ、霖之助は口を開いた。
「で、客じゃないという君は何をしにうちの店に来たんだい?」
「客じゃない、というと語弊はあるが……強いて言うなら、取引かな」
彼女の要望通り、かしこまるのはやめにした。
というか、出会い頭に思考を読んでくる相手に遠慮しても仕方が無い。
そして彼女は、霖之助の隣に控えるこころへと視線を向ける。
こころはというと、神子に作って貰ったという希望の面を目深にかぶり……まるで太子の瞳から隠れるように座っていた。
……いつもより、無表情度合いが強い気がする。
「今日来たのは他でもない、その子を返してもらおうと思って来たんだ」
「返す、か。まるで自分のものと言わんばかりだね」
「当然さ。なんと言っても私が作ったのだからな」
事も無げに彼女はそう言った。
彼女はこころと、それから霖之助を見比べて言葉を続ける。
「その子の危険性は知っての通り。先日の異変は、対処が遅ければ幻想郷は崩壊していたと言っても過言ではないだろう」
「だから自分の監視下に置く、と?」
「また何か起こったら作者である私のせいにされるのは明白だから、別におかしくないと思うが?」
確かに彼女の言うことは間違ってはいない。
だからといって、はいそうですかと要望を飲む気にはなれなかった。
「しかしこの子は暴走しないよう努力してる。それは一緒に居る僕が保証しよう」
「ふむ。そこは認めるが……似たようなことを問うた時、山の巫女に言われたことがある」
「何をだい?」
「絶対に人を噛まない猛獣に会ったことはあるか? だそうだ」
そこそこ長く生きてきた霖之助も、あるとは言えなかった。
世の中に絶対など存在しない。
つまり彼女が言いたいのはそういうことだろう。
「でも先日この子に聞いた話だと、特定陣営には肩入れしないようにとの協定だったはずだが」
「建前上はね。だからこそ、他を出し抜くチャンスでもある」
神子はにやりと笑い、仰々しく手を広げた。
「私はどこかの僧のように、平等など説いて回る気は無い。民衆というのは力ある者に導かれるべきだ」
かつて道教を独占した聖徳王は、悠然とそう宣言した。
お祭り騒ぎの熱は去ったものの、宗教戦争は終わってはいないようだ。
もしかしたら、終わることなどないのかもしれない。
「悪いようにはしないよ。ここは快く渡してくれないだろうか。
無論十分な対価は用意するつもりだが、どうかな」
そう言って、神子は霖之助に手を伸ばす。
なんだかんだ言って、こころのことは高く買っているようだ。
そんな彼女が用意する十分な対価とは、どれほどのものだろうか。
……その瞬間。
何となく服に違和感を覚え、霖之助は視線を移した。
視線を動かすと、こころは無表情のまま……少しだけ震えながら、ぎゅっと彼の服を掴んでいるのが見えた。
霖之助は肩を竦め、ため息ひとつ。
「お断りします」
「理由を聞こうか」
微塵の驚きも見せず、淡々と彼女は問いを返した。
まるで予想通りと言わんばかりのその反応を気に留めず、霖之助は口を開く。
「僕には君の言う、被創造物は創造主に従うべきだという考え方が受け入れられない。
逆に問うが、仮にもし君が伊弉諾尊や伊弉冉尊と言った神々に理不尽な命令を受けたら素直に聞くかい?」
「なるほど、一理ある。確かにそのような命令は、我が全霊をもってねじ伏せることだろう」
神子自身、死という人間の運命をねじ曲げてまで仙人になった人物である。
生来の生い立ちなど、彼女にとって何の意味もないはずだ。
なればこそ、神子は現在の能力こそを評価するのだろう。
「それにこの子は僕の所有物ではないからね。そんな決定権はないよ」
「おや、てっきり道具屋として管理してるのかと思っていたんだが」
「こころはれっきとした一人の付喪神だ。香霖堂で取り扱いはしないさ」
「うーん」
きっぱりと断言する霖之助に、しかし神子は首を傾げる。
理解出来ない、と言わんばかりに。
「気を悪くしないで聞いて欲しいんだが」
「なんだい?」
「正直、私にはその違いがわからないんだ」
「……わからない、とは?」
「だって、道具も付喪神も動くか喋るか……その程度の差だろう?」
彼女は香霖堂の店内を見渡し、そしてこころに視線を向けた。
その瞳に映る感情は、どれに向けられても微塵も揺らぐことはない。
「付喪神などと呼ばれる前から、私には道具の欲すらも聞こえるんだ。
ならば多少動いて饒舌になったところで、大した違いはあるまい?
……貴方なら、その気持ちがよくわかると思うんだが」
「…………」
道具の気持ちになり、記憶を共有し、名前と用途を知る能力。
彼女は欲と呼んでいるが、読み取っているのは似たようなものだろう。
それはつまり、神子の言葉の裏付けであり……。
思わず頷きかけた霖之助は、深いため息をついた。
「ノーコメント、にしておくよ」
「まあいいさ。とにかく、私にとって道具か付喪神かなんてのはどうでもいいんだ」
「だからこころをただの道具に戻そうとしたのかい?」
「あれは異変を起こしていたからだよ。平時の彼女にそんなことはしないさ。そうじゃないと、私の役に立てないだろう」
「もしまたこころが暴走したら?」
「必要とあらば、適切な処置をするだろうね」
神子の言葉は簡潔だった。
嘘は言ってない。言う必要が無い。
こころが暴走することはない、と誰が保証出来るだろうか。
そして彼女なら、適切な対処が出来るのだろう。
本来の制作者の元で、もっと別の生活を送ることが出来るかもしれない。
「では改めて問おうじゃないか。決定権がないと言うなら、共に説得してくれないか」
神子の言葉に、霖之助はこころへと顔を向ける。
そして彼女の頭に優しく手を置くと、再び彼女に向き直った。
「やはりこころは行かせられないな」
「何故だい?」
「決まっている」
霖之助には決定権がない。
では誰が決めるのか。
これからどうするのか。
「こころがここにいると決めたのだから、僕はその意思を尊重するだけだよ」
それは言葉通り……最初から決まっていた。
彼女がそう望んだのだから。
それだけで、十分だった。
「同じ問いで返して悪いが、もし彼女が暴走したら貴方はどうするつもりだ?」
「さて、そうなったらまた誰かが解決してくれるんじゃないかな」
「ずいぶん他力本願なことだ。それならうちにいても変わらないだろう」
「いいや、そうじゃない。君のところにいれば君か、君の配下が解決する可能性が一番高いだろう?」
「それは当然だな」
頷く神子に、霖之助は肩を竦める。
「ところがうちなら、誰が解決するかまったくわからないじゃないか。
その方が実に……幻想郷らしいと思うよ」
「……らしい、か」
その返答に彼女は驚いたようだ。
目を丸くし、それから困ったような笑みを零す。
「では愛想尽かして出て行くなら、貴方は止めないんだな」
「その時は仕方ないね。身から出た錆だと諦めるしかないよ」
それが彼女の意思ならば、霖之助が邪魔する手立てはない。
「そんな日が来ないように、出来るだけ努力しようとは思うがね」
「なるほど、それが貴方の選択か」
疲れたように、神子はため息をついた。
湯飲みを口に運んで一息つくと、希望の面越しにこころを見つめる。
「最後に問おう。君は私と共に来る気は無いか?」
「私は……」
こころは神子と霖之助を見上げ……ゆっくりと首を振った。
「私は、マスターの側にいます」
「そうか。やれやれ、ふられてしまったな。まあ今回は店主の顔を立てて引き下がるとしよう」
肩を落とす神子の声色は、しかしどこか満足そうな響きがあるような気がした。
その様子を見て、ふと霖之助は疑問を抱く。
「神子、君はもしや……」
「失礼、そろそろお暇させてもらうよ。これでも多忙の身でね」
霖之助の言葉を受け流しながら、彼女は立ち上がる。
優雅にマントを翻しながら、肩越しに唇の端をつり上げてみせた。
「今日は冷やかしですまない。次来た時は商品を見せてもらおう」
「買っていってくれると更にありがたいんだけどね」
「いいものがあれば、いつでもそうしようじゃないか」
ひらひらと手を振る彼女に、霖之助も立ち上がり、恭しく頭を下げる。
「またいつでも来るといい。様子を見に、ね」
「……貴方はなかなか食えない人のようだ」
「あの」
困り顔を浮かべる太子は、こころの呼び声に動きを止めた。
「またのお越しを……お待ちしてます」
「ああ」
店員らしいその言葉に、今度こそ彼女は破顔する。
「また寄らせてもらうよ」
そう言って神子は香霖堂をあとにした。
台風のような彼女の襲来を無事やり過ごし、霖之助はようやく肩の荷が下りた気がしていた。
おそらく彼女が霖之助に対して挑発的な態度を取ったのはわざとなのだろう。
理由は簡単、霖之助の考えを他ならぬこころに見せるため、だろうか。
単に彼女はこころの様子を見に来ただけに違いない。
……親子揃って不器用なことだ。
そんなことを考えていると。
「マスター」
「ん?」
ぽす、と軽い音を立て。
こころが霖之助の背中に抱きついてきた。
「私はここにいてもよろしいのでしょうか」
「もちろんだよ。君がそう望む限り、ね」
こころの体温を背中で感じつつ。
霖之助は一人、笑みを浮かべる。
「ちゃんと約束したからね。途中で放り出したりはしないさ」
「約束だから、ですか?」
「それもあるが……僕個人としても、君にはいて貰いたいと思っているよ。
さっきも言った通り、君が出て行くなら別だけどね」
「そんなこと……」
こころはそう言って身じろぎしたようだ。
背中に抱きつかれたままなので身動きが取れず、霖之助は困った表情で後ろの彼女に伺いを立てる。
「……さて、そろそろ午後の活動に入りたいんだけど」
「もう少し、待っていただけますか」
「ふむ、まあ別に構わないが」
そう言って、彼女はますます腕の力を強めた。
こころの柔らかな身体が背中に押しつけられ、吐息が耳に響く。
「こんな時の表情……私、まだ知りません」
珍しく感情を含んだ声で……彼女はそう、零すのだった。
思えば神子を初めて書いたような気がします。
霖之助 こころ 神子
「マスター、倉庫の整理終わりました」
雑然とした店内に、静かな少女の声が響く。
霖之助が作業の手を止め視線を送ると、掃除道具を抱えたこころが入ってくるところが見えた。
「ありがとう。何か変わったことはあったかい?」
「いえ、これと言っては特に」
はたきを戸棚に仕舞いながら、ゆっくりとこころは首を振る。
箒を立てかけ布巾をたたんだところで、ふと彼女は思い出したように声を上げた。
「あ、でも」
「うん?」
「いくつかの道具が暴れたがってたので宥めておきました」
「それはなんとも……すまなかったね、ありがとう」
「これくらいお安い御用です、マスター」
誇らしげに薄い胸を反らしながら、変わらぬ無表情で彼女は言った。
福の神のお面を抱えているあたり、嬉しい気分であるらしい。
こころが修業にやって来て、かれこれ二週間ほど経っただろうか。
住み込みという形で居座る彼女に、霖之助は宿代として香霖堂の雑務を任せていた。
言うまでもなく、香霖堂にはいわく付きの道具やマジックアイテムが数多く蒐集されている。
その中には周囲に影響を及ぼすものも珍しくないのだが……幸いなことに、最高位の付喪神である彼女の前ではたいていの道具は大人しくなるらしい。
加えて感情を操るこころの能力をもってすれば、やんちゃな道具を宥めることなど朝飯前と言うことだろう。
異変の時、屋台に売ってあるお面から希望を抽出して希望の面を製作していたと聞いていたが、まだいろいろな使い方が出来るのかもしれない。
もちろん霖之助も道具は大事にしているつもりなのだが……。
使い方がわかるまでそのままにしてあるものや貴重すぎておいそれと使えないものもあるので、こころが面倒を見てくれる現状はとても助かっていた。
「あと手入れして貰いたがってる子がいくつか居ましたから、面倒見てあげてくださいね」
「了解したよ。あとで店内に運んでおいてくれるかな」
「かしこまりました」
恭しく頭を下げるこころ。
その仕草は先日店に来た紅い館のメイド長から学んだものだ。
……影響を受けやすいのが、彼女の長所であり欠点である気がしてきた。
「それから今日は空の機嫌も良さそうなのでお洗濯ものも干しておきました。日が沈む前取り込んでおきます」
「そうか……いや、助かるんだけどね」
「マスターのためですから」
そう言って彼女はオカメの面を取り出した。
喜怒哀楽の基本的な感情は、もうだいぶマスターしたらしい。
それにしても最近の彼女は行動までメイドらしくなってきたようだ。
そこまでやらなくてもいいとは言っているのだが。
……本人が上機嫌なので、強くは言わないでいた。
「こちらも預かってたお面のメンテナンスを済ませておいたよ。しばらく使ってみて、調子が悪そうだったらまた言ってくれ」
「ありがとうございます。助かります」
「なに、バイト代みたいなものだからね」
修理品なども一目見て悪い箇所を見抜ける彼女は、助手としても至極優秀だった。
これくらいのサービスがあってしかるべきだろう。
「しかしもうこんな時間か」
霖之助は作業を一段落させると、立ち上がって大きく伸びをした。
霊夢から新しい巫女服と道具を頼まれたのだが、集中しすぎたらしい。
気がつけばもうすぐ昼食時である。
霖之助はもちろんのこと、こころもそれほど食事が必要ないらしいのでいつも昼食は食べないものの、休憩するにはいいタイミングだった。
「道具の手入れは午後からにしよう。とりあえず一休みしたらどうかな」
「はい、ではお言葉に甘えて」
彼女はそう答えると、いつもの席に座って漫画を広げる。
この光景もすっかり日常になってしまった。
それにしても、と霖之助はこころを見て思うところがある。
能楽の始祖、秦河勝はかの聖徳王から66の面を賜り、天下泰平のために舞を捧げたという。
つまり面霊気であるこころは天下泰平のシンボルというわけだ。
そして今、天下を取る程度の力を持つ草薙の剣もまた香霖堂に納められている。
この二つが揃ったことはただの偶然だろうか。
もしかしたら何か意味があるのではと考えざるを得ないわけで。
「いや、ただの偶然だろう」
「……人の思考と会話しないでくれないか」
突然割って入った声に、霖之助はため息で返す。
そして疲れた表情で、店の入り口に立つ人影視線を向けた。
……また新たな面倒事を、予感しながら。
「こうやって会うのは初めてだったかな。噂は聞いてますよ、森近霖之助殿」
霖之助の向かいに座り、聖徳太子……厩戸皇子の異名を取る彼女は、軽く会釈をしてみせた。
その特徴のある髪型がつい目に入るが、気になるのはむしろ彼女が身につけたヘッドフォンだ。
最初何か聞いているのかと思ったのだが、霖之助の目には音を遮る用途と映った。
ひょっとしたら何かのリミッターなのかもしれない。
「こちらこそ、太子様のご高名はかねがね。里で2、3度すれ違ったくらいでしたね」
1400年の時を経て復活した仙人の話は霊夢達から何度か耳にしたことがある。
油断ならない人物だと言うこともまた、寺の住職から聞き及んでいた。
彼女たちの敵対関係はわりと有名なので、話半分ではあるのだが。
「そんなにかしこまる必要は無いよ。今日の私は客ではないのだからね」
「……今後のための挨拶なら、より一層の体裁というものが求められるはずですが」
「私にとって外面だけ取り繕ったものほど無意味なものはなくてね。
だからいつも通りで結構。噂は聞いている、と言っただろう。誰に対してもぞんざいな扱いをするらしいじゃないか」
「誰がそんなことを……と、聞くだけ野暮かな、まったく」
別に霖之助も好きこのんでそういう対応をしているわけではない。
上客に対してはもちろん、上客になりそうな相手にも礼儀を欠かすことのないよう気をつけているつもりだ。
しかしどんな上客も……主にどこかのメイド長のせいなのだが、次第に要求がエスカレートしていくのが世の常というもので。
いちいち付き合っててはこちらの身が持たないため、ほどほどの折り合いを付ける意味でも必然的にそういう対応になってしまうのだ。
どのみち香霖堂に来る人妖は客など一握りなのだから、初めからぞんざいな扱いでも問題ないとも言えた。
「それにしても……」
「何か?」
可笑しそうに……あるいは楽しそうに、神子は含み笑いを漏らす。
「いや、先ほど貴方の欲を聞かせてもらったのだが、これほど思考と欲がずれている者も珍しいと思ってね。
天下に思いを馳せつつ、その実かき立てる欲がないということはつまり……」
「……何の話かわからないな」
「失礼、話が逸れたようだ」
コホンと咳払いひとつし、彼女は居住まいを正した。
出された湯飲みを傾け、ため息ひとつ。
例によって一番安いお茶を飲みつつ、霖之助は口を開いた。
「で、客じゃないという君は何をしにうちの店に来たんだい?」
「客じゃない、というと語弊はあるが……強いて言うなら、取引かな」
彼女の要望通り、かしこまるのはやめにした。
というか、出会い頭に思考を読んでくる相手に遠慮しても仕方が無い。
そして彼女は、霖之助の隣に控えるこころへと視線を向ける。
こころはというと、神子に作って貰ったという希望の面を目深にかぶり……まるで太子の瞳から隠れるように座っていた。
……いつもより、無表情度合いが強い気がする。
「今日来たのは他でもない、その子を返してもらおうと思って来たんだ」
「返す、か。まるで自分のものと言わんばかりだね」
「当然さ。なんと言っても私が作ったのだからな」
事も無げに彼女はそう言った。
彼女はこころと、それから霖之助を見比べて言葉を続ける。
「その子の危険性は知っての通り。先日の異変は、対処が遅ければ幻想郷は崩壊していたと言っても過言ではないだろう」
「だから自分の監視下に置く、と?」
「また何か起こったら作者である私のせいにされるのは明白だから、別におかしくないと思うが?」
確かに彼女の言うことは間違ってはいない。
だからといって、はいそうですかと要望を飲む気にはなれなかった。
「しかしこの子は暴走しないよう努力してる。それは一緒に居る僕が保証しよう」
「ふむ。そこは認めるが……似たようなことを問うた時、山の巫女に言われたことがある」
「何をだい?」
「絶対に人を噛まない猛獣に会ったことはあるか? だそうだ」
そこそこ長く生きてきた霖之助も、あるとは言えなかった。
世の中に絶対など存在しない。
つまり彼女が言いたいのはそういうことだろう。
「でも先日この子に聞いた話だと、特定陣営には肩入れしないようにとの協定だったはずだが」
「建前上はね。だからこそ、他を出し抜くチャンスでもある」
神子はにやりと笑い、仰々しく手を広げた。
「私はどこかの僧のように、平等など説いて回る気は無い。民衆というのは力ある者に導かれるべきだ」
かつて道教を独占した聖徳王は、悠然とそう宣言した。
お祭り騒ぎの熱は去ったものの、宗教戦争は終わってはいないようだ。
もしかしたら、終わることなどないのかもしれない。
「悪いようにはしないよ。ここは快く渡してくれないだろうか。
無論十分な対価は用意するつもりだが、どうかな」
そう言って、神子は霖之助に手を伸ばす。
なんだかんだ言って、こころのことは高く買っているようだ。
そんな彼女が用意する十分な対価とは、どれほどのものだろうか。
……その瞬間。
何となく服に違和感を覚え、霖之助は視線を移した。
視線を動かすと、こころは無表情のまま……少しだけ震えながら、ぎゅっと彼の服を掴んでいるのが見えた。
霖之助は肩を竦め、ため息ひとつ。
「お断りします」
「理由を聞こうか」
微塵の驚きも見せず、淡々と彼女は問いを返した。
まるで予想通りと言わんばかりのその反応を気に留めず、霖之助は口を開く。
「僕には君の言う、被創造物は創造主に従うべきだという考え方が受け入れられない。
逆に問うが、仮にもし君が伊弉諾尊や伊弉冉尊と言った神々に理不尽な命令を受けたら素直に聞くかい?」
「なるほど、一理ある。確かにそのような命令は、我が全霊をもってねじ伏せることだろう」
神子自身、死という人間の運命をねじ曲げてまで仙人になった人物である。
生来の生い立ちなど、彼女にとって何の意味もないはずだ。
なればこそ、神子は現在の能力こそを評価するのだろう。
「それにこの子は僕の所有物ではないからね。そんな決定権はないよ」
「おや、てっきり道具屋として管理してるのかと思っていたんだが」
「こころはれっきとした一人の付喪神だ。香霖堂で取り扱いはしないさ」
「うーん」
きっぱりと断言する霖之助に、しかし神子は首を傾げる。
理解出来ない、と言わんばかりに。
「気を悪くしないで聞いて欲しいんだが」
「なんだい?」
「正直、私にはその違いがわからないんだ」
「……わからない、とは?」
「だって、道具も付喪神も動くか喋るか……その程度の差だろう?」
彼女は香霖堂の店内を見渡し、そしてこころに視線を向けた。
その瞳に映る感情は、どれに向けられても微塵も揺らぐことはない。
「付喪神などと呼ばれる前から、私には道具の欲すらも聞こえるんだ。
ならば多少動いて饒舌になったところで、大した違いはあるまい?
……貴方なら、その気持ちがよくわかると思うんだが」
「…………」
道具の気持ちになり、記憶を共有し、名前と用途を知る能力。
彼女は欲と呼んでいるが、読み取っているのは似たようなものだろう。
それはつまり、神子の言葉の裏付けであり……。
思わず頷きかけた霖之助は、深いため息をついた。
「ノーコメント、にしておくよ」
「まあいいさ。とにかく、私にとって道具か付喪神かなんてのはどうでもいいんだ」
「だからこころをただの道具に戻そうとしたのかい?」
「あれは異変を起こしていたからだよ。平時の彼女にそんなことはしないさ。そうじゃないと、私の役に立てないだろう」
「もしまたこころが暴走したら?」
「必要とあらば、適切な処置をするだろうね」
神子の言葉は簡潔だった。
嘘は言ってない。言う必要が無い。
こころが暴走することはない、と誰が保証出来るだろうか。
そして彼女なら、適切な対処が出来るのだろう。
本来の制作者の元で、もっと別の生活を送ることが出来るかもしれない。
「では改めて問おうじゃないか。決定権がないと言うなら、共に説得してくれないか」
神子の言葉に、霖之助はこころへと顔を向ける。
そして彼女の頭に優しく手を置くと、再び彼女に向き直った。
「やはりこころは行かせられないな」
「何故だい?」
「決まっている」
霖之助には決定権がない。
では誰が決めるのか。
これからどうするのか。
「こころがここにいると決めたのだから、僕はその意思を尊重するだけだよ」
それは言葉通り……最初から決まっていた。
彼女がそう望んだのだから。
それだけで、十分だった。
「同じ問いで返して悪いが、もし彼女が暴走したら貴方はどうするつもりだ?」
「さて、そうなったらまた誰かが解決してくれるんじゃないかな」
「ずいぶん他力本願なことだ。それならうちにいても変わらないだろう」
「いいや、そうじゃない。君のところにいれば君か、君の配下が解決する可能性が一番高いだろう?」
「それは当然だな」
頷く神子に、霖之助は肩を竦める。
「ところがうちなら、誰が解決するかまったくわからないじゃないか。
その方が実に……幻想郷らしいと思うよ」
「……らしい、か」
その返答に彼女は驚いたようだ。
目を丸くし、それから困ったような笑みを零す。
「では愛想尽かして出て行くなら、貴方は止めないんだな」
「その時は仕方ないね。身から出た錆だと諦めるしかないよ」
それが彼女の意思ならば、霖之助が邪魔する手立てはない。
「そんな日が来ないように、出来るだけ努力しようとは思うがね」
「なるほど、それが貴方の選択か」
疲れたように、神子はため息をついた。
湯飲みを口に運んで一息つくと、希望の面越しにこころを見つめる。
「最後に問おう。君は私と共に来る気は無いか?」
「私は……」
こころは神子と霖之助を見上げ……ゆっくりと首を振った。
「私は、マスターの側にいます」
「そうか。やれやれ、ふられてしまったな。まあ今回は店主の顔を立てて引き下がるとしよう」
肩を落とす神子の声色は、しかしどこか満足そうな響きがあるような気がした。
その様子を見て、ふと霖之助は疑問を抱く。
「神子、君はもしや……」
「失礼、そろそろお暇させてもらうよ。これでも多忙の身でね」
霖之助の言葉を受け流しながら、彼女は立ち上がる。
優雅にマントを翻しながら、肩越しに唇の端をつり上げてみせた。
「今日は冷やかしですまない。次来た時は商品を見せてもらおう」
「買っていってくれると更にありがたいんだけどね」
「いいものがあれば、いつでもそうしようじゃないか」
ひらひらと手を振る彼女に、霖之助も立ち上がり、恭しく頭を下げる。
「またいつでも来るといい。様子を見に、ね」
「……貴方はなかなか食えない人のようだ」
「あの」
困り顔を浮かべる太子は、こころの呼び声に動きを止めた。
「またのお越しを……お待ちしてます」
「ああ」
店員らしいその言葉に、今度こそ彼女は破顔する。
「また寄らせてもらうよ」
そう言って神子は香霖堂をあとにした。
台風のような彼女の襲来を無事やり過ごし、霖之助はようやく肩の荷が下りた気がしていた。
おそらく彼女が霖之助に対して挑発的な態度を取ったのはわざとなのだろう。
理由は簡単、霖之助の考えを他ならぬこころに見せるため、だろうか。
単に彼女はこころの様子を見に来ただけに違いない。
……親子揃って不器用なことだ。
そんなことを考えていると。
「マスター」
「ん?」
ぽす、と軽い音を立て。
こころが霖之助の背中に抱きついてきた。
「私はここにいてもよろしいのでしょうか」
「もちろんだよ。君がそう望む限り、ね」
こころの体温を背中で感じつつ。
霖之助は一人、笑みを浮かべる。
「ちゃんと約束したからね。途中で放り出したりはしないさ」
「約束だから、ですか?」
「それもあるが……僕個人としても、君にはいて貰いたいと思っているよ。
さっきも言った通り、君が出て行くなら別だけどね」
「そんなこと……」
こころはそう言って身じろぎしたようだ。
背中に抱きつかれたままなので身動きが取れず、霖之助は困った表情で後ろの彼女に伺いを立てる。
「……さて、そろそろ午後の活動に入りたいんだけど」
「もう少し、待っていただけますか」
「ふむ、まあ別に構わないが」
そう言って、彼女はますます腕の力を強めた。
こころの柔らかな身体が背中に押しつけられ、吐息が耳に響く。
「こんな時の表情……私、まだ知りません」
珍しく感情を含んだ声で……彼女はそう、零すのだった。
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No title
「こんな時の表情……私、まだ知りません」だって・・・ 大丈夫、店主が隅から隅まで教えてくれるよ実地込みでwww
しかし道具たちの想いまでわかるとなると、恋愛感情を理解した時には霖之助に大事にされている道具に嫉妬しそうですなこころちゃん。まぁそんなこころちゃんも可愛いので全く問題ないんですけどね(2828)
しかし道具たちの想いまでわかるとなると、恋愛感情を理解した時には霖之助に大事にされている道具に嫉妬しそうですなこころちゃん。まぁそんなこころちゃんも可愛いので全く問題ないんですけどね(2828)
No title
なるほど、神子お父さんとの面談……
次回は白蓮お母さんとの面談くるで
……別にお父さんとお母さんも同時攻略しても構わないんですよ?(チラッ
次回は白蓮お母さんとの面談くるで
……別にお父さんとお母さんも同時攻略しても構わないんですよ?(チラッ
No title
ラスト読んだ瞬間体がなんか動かなくなってきたと思ったら、体が砂糖の柱になっていた。
何を言っているのかわからないと思うが(ry
こころちゃんが可愛い過ぎて全俺が砂糖菓子に早変わりだよ!!www(発狂
何を言っているのかわからないと思うが(ry
こころちゃんが可愛い過ぎて全俺が砂糖菓子に早変わりだよ!!www(発狂
No title
甘くて甘くて感化されてしまいそうだよ。情熱がもどってきそうだ。ネタはあったはず、話膨らませていかなきゃ。
こころの柔らかな身体が背中に押しつけられ、吐息が耳に響く。
「こんな時の表情……私、まだ知りません」
珍しく感情を含んだ声で……彼女はそう、零すのだった。
僕だったら我慢できず即可愛がりますねこれは。うん、抱きしめたり頭撫でていた。
霖ちゃんが羨ましくてそしてなぜか誇らしい←
こころの柔らかな身体が背中に押しつけられ、吐息が耳に響く。
「こんな時の表情……私、まだ知りません」
珍しく感情を含んだ声で……彼女はそう、零すのだった。
僕だったら我慢できず即可愛がりますねこれは。うん、抱きしめたり頭撫でていた。
霖ちゃんが羨ましくてそしてなぜか誇らしい←
No title
これは森近一家的なストーリーに発展する可能性が微レ存・・・?
もしそうなった場合、神子×こころ×霖になるのか聖×こころ×霖になるのか・・・
どちらにしろ俺得になっちゃいますなぁww
まぁ私はハーレムでもかまわないですけどね!
もしそうなった場合、神子×こころ×霖になるのか聖×こころ×霖になるのか・・・
どちらにしろ俺得になっちゃいますなぁww
まぁ私はハーレムでもかまわないですけどね!
No title
とりあえず、神子様と深い仲になろう
話はそれからです(迫真
え、白蓮さんがやってくるって?それはそれで美味しいです!
話はそれからです(迫真
え、白蓮さんがやってくるって?それはそれで美味しいです!
No title
太子様初登場どころか、神霊廟勢で最初の登場ですね?
げに恐ろしきはこころちゃんよ。
・・・聖様VS太子様の会場はここで合ってますかねぇ?(ゲス顔)
げに恐ろしきはこころちゃんよ。
・・・聖様VS太子様の会場はここで合ってますかねぇ?(ゲス顔)
太子様も霖之助さんもよい保護者ですねぇ。 …あれ、これはもう夫婦と言っても過言ではないのでは(爆)?