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八雲橙

遙か昔にリクエストを受けていた橙霖。
たまには商売人っぽく。


霖之助 橙









 二股に分かれた尻尾が、落ち着かない様子でゆらゆらと揺れる。
 決心が付かないのだろう。

 カウンターの向かい側に座るそんな彼女に、しかし霖之助は何も言わなかった。

 ただあちらから切り出してくるのをひたすら待つ。
 こう言う場合、最初が肝心である。
 あくまで相談に乗ってあげる側でなくてはならない。


 彼女は間が持たないのか、そわそわと目の前に置かれた湯飲みを掴み……。


「ふにゃっ」


 熱かったのだろう、ピンと尻尾が伸びた。


「大丈夫かい? 橙。
 そんなに熱くした覚えはないんだが……」
「だ、だいじょぶ」


 橙は舌を押さえながら、涙目で首を振った。
 強がっているようにも見えるが、すぐに治るだろう。
 彼女は立派な妖怪なのだから。

 霖之助はあえて何も言わないまま、彼女が落ち着くのを待った。


「ね、ねぇ霖之助」


 意を決してか、勢いに乗じてか。
 橙は顔を上げ、口を開く。


「大人になる方法を、教えて欲しいの」
「大人、ねぇ」


 ようやく出てきた質問に、霖之助は首を捻った。
 魔理沙にも昔、似たようなことを聞かれたことがある気がする。
 あの時はどう答えただろうか。

 しばし考え……。
 やがて、答えが出た。


「橙は、どうやったら大人になれると思うかい?」
「え? え~っと……」


 質問に質問で返され。橙は目を瞬かせる。
 おそらくそれを聞きに来た来たのだろう。

 しばし無言で考える彼女。
 橙が何か言おうと口を開いた瞬間……。


「正解」
「えっ」


 霖之助は先回りするように声を発した。
 面食らったような橙に構わず、言葉を続ける。

 野生であれば親元から自立したとき、とわかるだろうが……。


「明確な『大人になる方法』なんて誰にもわからないのさ。
 だから答えなくて正解だよ。
 元服や成人式と言った、節目の行事はあるけどね」


 それだって時期的なものに過ぎないのだ。
 成果がゼロではないにしても、それは環境によるものに過ぎない。

 つまり結果論なのだ、と霖之助は考える。


「大人にはいつの間にかなっているものさ。
 子供でいられなくなると言ったほうが近いかもしれないね」


 それは結婚であったり、就職であったり様々なのだろう。
 もしくは他の外的要因……扶養者に何かあったときや、
あるいは異性の気を惹く手段でさえもあったりするかもしれない。


「……よくわかんない」
「そのあたりをわかっているのが大人、かな」


 霖之助の言葉に、シュンと尻尾が垂れ下がる。
 続く言葉は、やはり元気のないものだった。


「……じゃあ、私は大人になれないの?」
「今すぐにはね」


 ますます肩を落とす橙に、霖之助は苦笑を浮かべた。


「だが、一歩近づくことは出来るよ」
「ほんと?」
「ああ」


 ぱぁっと彼女は顔を輝かせる。
 見る者が思わず幸せになるような笑顔。


「どうやるの? 教えてよ霖之助」
「まあ、少し落ち着きたまえ」


 流行る彼女に、霖之助は再度お茶を勧める。
 今度は十分冷めていたのだろう。
 橙は熱がることもなく、お茶を啜った。


「君は自分が成長したなと思う時はどういう時だい?」
「え?」


 思わぬ質問だったらしく、彼女は首を捻る。
 必至に思い出そうとすることしばし。
 やがて彼女は口を開いた。


「えっと、えっと。
 料理が美味しくできた時とか。
 藍様の宿題で、解けなかった問題が解けた時とか……」
「いい答えだね。
 つまり今まで出来なかった事が出来るようになった時、一歩成長するのだと僕は思うよ。
 肉体的や精神的に……君たち妖怪なら、精神の割合が大きいだろうね」


 そこまで言って、一度言葉を切る。
 このあたりは具体例を出したほうがわかりやすいだろう。


「橙は、誰を大人だと思うかい?」
「えっと、藍さまとか紫さまとか」


 橙は指折り数え、大人と思われる人物を羅列していった。
 身近な大人をよく見ている。

 願わくば、反面教師という言葉の意味も覚えて欲しいところだが。
 ……霖之助は胡散臭い笑みを浮かべる橙を幻視し、思わず身震いをしてしまった。


「彼女たちは、いろいろなことが出来るだろう?」
「うん、本当。霖之助の言うとおりだね」


 妖怪は人間を襲い、妖怪は人間に退治されるものである。

 ただ生き延びるだけ、同じ事の繰り返しでは妖怪の格は上がらない。
 より強い存在へ上がるためには、より名の知れた人間を襲わなくてはならない。

 ……と、船幽霊が言っていた。

 彼女は既に船幽霊を廃業し、寺の一員となっているが。
 結果的には、本人が満足しているから良かったようだ。


「人間も妖怪も、そうやって一歩ずつ大人になっていくのさ。
 まあ、鬼のように最初から最強を宿命付けられているものもいるが……」


 あと鵺もだろうか。
 正体不明であり続けることで妖怪として強くなっていく。

 ……まあ妖怪のことだ。
 格と言っても、出来ることを強化していくのと出来ることを増やすのではまた違うし、
一言でこれだという答えがあるとも思えない。

 ただ今回……橙に関しては、そう間違っていないように思う。


「橙は、どうして大人になりたいんだい?」
「えっ」


 彼女は一瞬言葉を詰まらせ、恥ずかしそうに俯いていた。
 しばらくして、おずおずと口を開く。


「大人になったら……八雲になれたら、藍様喜んでくれるかなって」
「なるほどね。八雲橙、というわけか」


 それは子供故の単純な発想だった。
 ……出来るなら、いつまでもその純真さを持っていてもらいたいものだと思う。


「なら、藍の喜ぶものを上げればいい。
 橙が自分で作ってね。
 それなら君の目的を一緒に達成できる」
「……喜ぶもの?」
「そうさ。例えば……油揚げなんてどうかな?」
「油揚げ?」
「ああ」


 霖之助は大きく頷いた。
 橙の主と言えば八雲藍。
 八雲藍と言えば九尾の狐。
 狐と言えば油揚げである。


「藍様、油揚げ好きだよ」
「そうだろう」


 頷きながら……霖之助はふと思い出した。

 そう言えば、結局藍を呼ぼうと思ったときに用意した油揚げを持って行ったのは、一体誰なのだろうか。


「私でも作れるの?
 火は危ないからあまり使っちゃダメって言われてるけど」
「慣れればね。
 ただ油を使うから……まあ、僕と一緒なら平気だろう」
「それじゃあ……」


 声のトーンが上がったのも束の間。


「……あ、でも私お金持ってない」


 橙は再び、肩を落とす。
 同時に力なく垂れる尻尾に、見ていて飽きないな、と霖之助は微笑んだ。


「大丈夫だよ。
 今回は出世払い……ツケにしておくから」
「ツケ?」
「ああ。
 商品なんかを先に買っておいて、あとから代金を払うやり方さ。
 ただ、ちゃんとツケは返すこと。これが絶対条件だ」
「うん、わかった」


 もちろん慈善事業でやっているわけではない。

 幻想郷の少女たちにツケの意味を正しく教えておきたかった。
 ……間違った知識を香霖堂の常連から吹き込まれる前に。


「期限はいつでもいいよ。気長に待つから。
 出来れば、君が自分で得た収入から返してくれるといいね」
「私の?」
「ああ。出世払いだからね。
 君の成長に期待して貸すんだからね。忘れないように」
「うん!
 でも覚えてられるかな……」


 喜ぶ橙に、霖之助は眼を細めた。


「じゃあ忘れないよう、君の主人に覚えてもらうといい」


 そしてこれが最大の目的である。

 冬の間、紫は冬眠する。
 その間に香霖堂と取引に来るのは、彼女の式でありこの橙の主である八雲藍だ。

 藍はこの式神を溺愛しているらしい。
 なら、冬の間橙が香霖堂に来るようにしたら。
 寒いのが嫌いな猫のために、ストーブの燃料を格安で譲ってくれるようになるかもしれない。
 そんな算段を、心の中で弾き出す。


「わかった。でもほんとにいいの?」
「ああ」
「ありがとう、霖之助」


 タダより高いものはないのだ。
 まあ、ツケなのでタダではないのだが。

 このあたりは大人のやりとりというやつである。
 だが彼女がそれを知る必要はない。


「じゃあ早速取りかかろうか」
「うん!」


 霖之助は橙を伴って台所へと向かった。

 油揚げは乱暴に言ってしまうと、豆腐を上げた料理である。
 もちろん細かい手法は数え切れないほどあるし、奥も深いものだ。
 味付けまで考えるとまさにキリがない。


「さて、これから作り始めるわけだが……。
 油揚げを作るときに気をつけるのはしっかり水を切ることだ。
 最初から失敗するとあとでは取り返せないからね」
「うん」
「重石やタオルでしっかり水を切って……。
 ……そうだな、3時間以上置いておくことが望ましいよ」
「そんなに?」


 驚く橙に、ゆっくりと頷く霖之助。


「しかし上手い具合に、ここに水気を切った豆腐がある。
 今回はこれを使おう」
「え? なんで?」
「それは企業秘密だよ」


 理由は簡単。
 先日、紫が油揚げの入ったうどんを食べたいと言い出したのだ。

 ……まったく、うちは飯屋じゃないんだがね。


 しかし恩を売っておくには越したこと無いので、油揚げを用意しようとしていた。
 そんな折、橙がやってきたというわけである。
 紫の注文は特に期限が斬ってなかったので、回すことにしたわけだ。


 橙は背が低いため、調理場に足場を用意した。
 油の温度の管理が上手く行かず、何度となく失敗する。

 それでも一生懸命に頑張る橙に、最初は見ているだけにとどめるつもりだった霖之助もいつしか親身になって教えていた。


「やった、できたよ、霖之助!」
「うん、これなら藍も満足するんじゃないかな」


 藍は橙が作ったものなら何でも喜んだだろう。

 だが……。
 これなら、間違いなく喜ぶ。
 霖之助にはその確信があった。


「味見しておくかい?」
「ううん、せっかくなら藍様に食べてもらう」
「……そうか。
 それじゃあ器を持ってこよう。しばらく待っててくれ」
「ありがとう、霖之助」


 輝かんばかりの橙の笑顔。
 その表情に、霖之助は眩しそうに眼を細める。


「……ああ。
 これくらい、おやすいご用だよ」


 彼女の笑顔を見られるのなら、ツケはチャラにしても良かったかもしれない。
 そんな事を、考えていた。

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大人にして、で吹いた俺は汚れ過ぎだろうか

No title

安心しろ、俺もだ

No title

兄弟たちよ。
皆となら、うまい酒が飲めそうだ。

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