納涼イリュージョン
打ち上げ花火べるまんさんが『お化け屋敷にいったらシリーズ』をやろうぜという企画でしたのでひとつ。
舞台も共有してみた感じで。ウフフ。
霖之助 咲夜
「すまない、もう一度言ってくれないか」
「ひょっとして今日のお耳は休業日だったりします?」
「まさか、絶賛営業中さ」
少しだけ日が落ちるのが早くなったものの、未だ猛威を奮う西日にじりじりと焦がされながら、霖之助は気になる単語に視線をあげた。
本を読んでいたせいで話半分で聞いていたのを見抜かれているようだが、彼女……紅い館のメイド長は小首を傾げただけで、気にした素振りもなく言葉を続ける。
「ですから、デートのお誘いに来たのですわ」
「それはいいとして、僕が気になったのはその前の単語なんだ」
「あら、快諾してくださるとは思いませんでした。何でも言ってみるべきね」
「……咲夜、話を続けてもらっても構わないかな?」
「もう、余韻に浸らせてもくれないだなんて。店主さんは意外と強引なのですね」
唇を尖らせつつも、楽しそうに微笑む咲夜。
マイペースな彼女は香霖堂の数少ない上客のひとりだが、たまに別次元で会話をしている気分になるのが困りものである。
物言いたげな霖之助の視線を軽く受け流し、彼女はゆっくりと語り始めた。
「ちょうど今、人里で夏祭りをやっているのです」
「それは知ってる。機材の準備や整備で儲けさせてもらったからね」
「まあ、店主さんが儲けるだなんて……今年一番の怪談かしら」
「君が僕のことをどう評価しているのかがよく分かったよ」
霖之助は不機嫌そうに、手元の湯飲みを傾けた。
無論いつもの軽いやりとりだとわかっているので、本気で怒っているわけではない。
「冗談ですわ。拗ねないでくださいな」
「拗ねてない。まったく、僕は話を続けてくれと言ったんだが」
「ええ、と言ってももう終わりますけど。実はそのお祭りで、人間も妖怪も楽しめるお化け屋敷というのが最近人気らしいのですよ」
「本当かい?」
「はい。なんでも稗田と河童が全面協力したとかで」
「ふむ……なるほど、あの子がねぇ」
咲夜の話を聞き、霖之助はひとつ頷いた。
霖之助が手伝っていた祭りの準備というのは主に商店向けの機材だ。
大がかりな設備、ましてや河童の手が入っているなら気づかなくても不思議はないかもしれない。
と、先ほど気になった単語を確認しつつ、考えを巡らせる。
咲夜はそんな彼を眺めながら、笑いを堪えきれない様子で語りかけた。
「意外と情報に疎いんですね、店主さん」
「僕の商売は祭りが始まるまでで終わっていたからね。正直祭りの中身にまで関心が無かったんだよ。毎年やってるものだし」
「でも今年は今までで最大の規模らしいですよ?」
「ああ、準備の時に聞いたよ。でも来年はもっと大きな規模になるだろうさ」
もちろんどこまでも大きくなるわけではない。
どこかで落ち着く時は来るだろうが、しばらく発展は続きそうだ。
どのみちまだまだ何年も付き合っていくことになるので、いちいち驚いていたらきりが無いのである。
……と、そんなことを人間相手に言うと呆れた顔をされるのだが。
「しかし人間も妖怪も楽しめるとはどういうことなのかな。驚きや怖がるポイントなんて全然違うだろうし」
「さあ、私も行ったことがないからわかりません。ですからデートにお誘いしているんですよ。見たほうが早いと思いまして」
「百聞は一見にしかず、ということか。確かに一理あるね」
「そういうことです」
したり顔で彼女は頷き、それから立ち上がる。
「では、参りましょうか」
「……今からかい?」
「もちろん。善は急げと言うじゃないですか」
目を瞬かせる霖之助に、咲夜は瀟洒に一礼してみせるのだった。
最大規模という謳い文句に嘘はなく、里の大通りほぼ全域にわたって夏祭りは開催されていた。
雑踏の中を咲夜と並んで歩きながら、目指す場所は会場の端。
やや人気の少ない場所に、それはあった。
「意外と本格的なんだな」
「来てよかったですか?」
「その判断はまだこれからさ」
お化け屋敷の会場を前に、霖之助は感心したような声を上げた。
人間も妖怪も楽しめるという話通り、周囲にはどちらの姿も見受けられる。
誰もがどこか声を抑え気味に囁き合っているのは、この雰囲気を壊さないための配慮なのだろう。
自然とそうしてしまう不思議な魅力が、確かにそこにはあった。
「入り口がいくつかあるみたいだね」
「こっちに説明があるみたいですよ、店主さん」
手招きをする咲夜に従い、案内板に目を通す。
どうやら初級、中級、上級と分かれているらしい。
初級はこの館の中をぐるりと歩いて一周するだけの、いわゆる普通のお化け屋敷なのだろう。
それが中級になると『現役住職が詠む般若心経静聴ツアー』となり、上級に至っては『覚妖怪が行う心理カウンセリング!』などと銘打ってあった。
何となく痛む頭を押さえながら、霖之助は盛大なため息を吐き出す。
「……確かにこの内容なら人間も妖怪も楽しめるかもしれないが。まともなお化け屋敷は初級だけじゃないか」
「この難易度設定も妖怪側に対してだけでしょうね」
「確かに怖いことには怖いんだろうけど」
妖怪にとって、お経とは怪談のような物らしい。
……と、香霖堂にやってきた怖いもの好きの妖怪から話を聞いたことがある
ハーフである霖之助にはその気持ちはよく分からなかったのだが、客足が途絶えないところを見るとなかなか人気なのだろう。
「さて店主さん、どれに入りましょうか」
「君に合わせるよ。というか、選択肢は無いと思うがね」
「ふふっ、そうですね。では初級でいいですか?」
「ああ、そのために来たようなものだし」
ルートを見ても、河童の技術が生かされていそうなのは初級のお化け屋敷くらいに違いない。
ならばと歩き出し……霖之助は左腕にかかる感覚に、ふと首を傾げた。
「で、どうしてくっつくんだい?」
「だって暗いから転んでしまうかもしれないでしょう?」
「杖代わりかな、僕は」
「それにはぐれないようにしませんと」
「まあ、好きにしてくれ」
そんなやりとりをしながら、入り口で入場料を払い明かりを受け取る。
受付をしていた少女が霖之助と咲夜を見比べ、何か言いたげにしていたが……きっと気のせいだろう。
暗い順路を、気をつけながら進む。
蝋燭ではなく光量を絞った魔法の明かりのようで、絶妙な光加減が何とも言えない心細さを醸し出していた。
廃屋を模した内装はとても年季が入っており、急ごしらえで設えたとは到底思えない。
もしくは本当にどこかの廃屋を持ってきたのかもしれない。
妖怪が噛んでいるなら、それくらいの芸当は十分可能なのだから。
「しかしお化け屋敷というものに初めて入ったけど……雰囲気はさすがだな」
「きっと亡霊あたりが監修したのでしょう」
「違いない」
言っているうちに、どこかで悲鳴が聞こえてきた。
少し前に入ったペアだろう。
建物に反響して届いたそれは距離感が掴めず、遠くの出来事でもあるようでいてすぐ近くで聞こえてくるようにも錯覚される。
それもまた、周囲の境界を曖昧にするのに一役買っているようだ。
音響にもこだわっているのだろう。まったく恐ろしいほどの技術力である。
「なかなかよく出来た装置じゃないか」
「本当、この才能をもっと有効活用すればいいのに」
「それが出来たら河童じゃないよ」
機械仕掛けで飛び出してくる人面提灯やくるくる回る唐傘お化けに感心したような表情を浮かべながら、霖之助はため息をついた。
「それにしても、君は怖がったりしないんだな」
「悪魔の館に住んでますもの。これくらいで怖がってはメイド長は勤まりませんわ」
涼しい顔で彼女は言ってのけた。
何とも説得力のある言葉に頷きながら歩いていると、寺子屋の内装を模した部屋にたどり着く。
「それにしても寺子屋か」
「何か?」
場違いな笑みを零した霖之助に、咲夜は怪訝な表情を浮かべた。
たいしたことは無い、と首を振りつつ、彼は笑みを抑えて言葉を続ける。
「いや、ふと慧音のことを思い出してね。彼女は強がる割に恐がりでね。昔よく夜中の用事に連れ出されたものだよ」
「……そうですか」
「ん、何か不満そうだね」
「いいえ別に。仲よさそうだなって思っただけで……」
そこで彼女の言葉は途切れた。
何事か、と思った矢先、その理由を知る。
「…………」
真横にある障子戸が唐突に無数の赤い手形で埋め尽くされてた。
確認しようと目をこらすと、次の瞬間には元通りになっている。
どうやったのか、霖之助にもわからなかった。
あるいは、本当にそうだったのかさえすでに曖昧になっている。
「……咲夜?」
「はい?」
数瞬前に見た彼女の表情が気になり、霖之助は彼女の名を呼んだ。
しかし咲夜はいつも通り。
「行きましょうか、店主さん」
「あ、ああ」
澄ました顔で腕を引く少女に、霖之助も並んで歩き出す。
先ほどと比べるとずいぶん口数が減ったことに疑問を抱きながらも、やがて中庭のような場所に足を踏み入れた。
「井戸だな」
「井戸ですね」
目に入ったそれに、二人は顔を見合わせる。
「井戸と言えば有名な怪談があってね」
「ああ、それは私も知ってます。お皿を数え終わる前に鬼が割りに来るという」
「いやそれは違うと思う」
賽の河原の鬼とごっちゃになっているのだろうか。
そんな愉快な鬼がいるのなら見てみたいものだ。
……まあ真っ先に退治されそうではあるが。
「タネが割れている手品は面白くありませんね」
「王道も大事な物だと思うがね」
「いくら王道と言っても、この状態で井戸から声が聞こえてきたって……」
そこで咲夜は言葉を切った。
またも口を噤む彼女の視線は、井戸の上に注がれている。
「…………」
井戸の上に、真っ黒い頭と手だけが浮いていた
何も言わず、感情のない瞳でこちらをじっと見つめている。
やがてそれは、ゆっくりと手招きをし始めた。
すると周囲から子供くらいの大きさの影が滲み出し、それに導かれるように井戸の中へと躊躇うことなく身を投げていく。
しかしその顔は奈落へ消える影に目もくれず、真っ黒なそれはただ二人を見て手招きをしていた。
霖之助の目にも、どうなっているのかわからなかった。
わからないと言うことは道具ではないようだ。
もしかしたら、本物かもしれない。
「おや、少し変化球で来たようだ」
「はぅ……」
霖之助の腕を掴む彼女の手に力が入る。
顔を伏せ、身を寄せてきたのはきっと気のせいではないだろう。
「……咲夜、もしかして怖いのかい?」
「そんな、まさか」
念のため、そんなことを聞いてみた。
しかし返ってきたのはいつもの笑顔。
「私は悪魔の館のメイド長ですよ? 幽霊なんて宴会で何度も見てますし、今更そんな物が怖いはずが」
「あ、またあそこに手形が」
「ふゎ」
霖之助の言葉に、彼女はかわいらしい声を上げた。
それが引っかけだと気づいたのはすぐのことだったが、咲夜は諦めたかのように、そして恨みがましげに頬を膨らませる。
「し、仕方ないじゃないですか。西洋と東洋ではホラーの形が全然違いますし、宴会の幽霊みたいにわかりやすくないですし」
「ふむ、よくわからない物が苦手なのかな?」
「私はナイフで斬れるようなのなら微塵も恐れは抱かないんです。でも見えないうちに窓を汚すとか、わからないくらいのスキマに消えていく影とかもう気持ち悪くて」
「……なるほどね」
なんだか半分くらいはメイドとしての職業病が入っている気がしたが。
しかしまあ、東洋と西洋の違いというのはあるかもしれない。
西洋の妖怪はなんかこう、自己主張が激しいものだ。
……と、どこかの吸血鬼を思い出して霖之助はそんなことを考えていた。
「もう出ましょうよ、店主さん」
「ああ、そうだね。どのみちもうすぐ出口みたいだ」
「そうですか……じゃあこのまま順路をたどるのが一番早そうですね」
感情を吐露して、さらに恐怖が増したのかもしれない。
咲夜は霖之助の腕を胸に抱くようにしながら、ゆっくりと薄暗い道を進む。
……ぴったりとくっついているとなかなかにして歩きにくいのだが、言い出せる雰囲気でもないので黙っておくことにした。
「あれが最後の仕掛けかしら」
「ああ、たぶんね」
首吊り死体……のような置物を無感情に眺めながら、咲夜は呟いた。
こういうのは平気らしい。
……さっぱり線引きが分からないが、気にしていても仕方がない。
やがて外の明かりが見えた時、霖之助も思わず安堵のため息を漏らしていた。
知らないうちに、わりと緊張していたのかもしれない。
「外の空気がこんなに美味しいだなんて」
「お疲れ様、咲夜」
大きく深呼吸をする彼女に、霖之助は笑ってみせる。
遠くで再び誰かの悲鳴が聞こえてきた。
また新たな犠牲者がお化け屋敷に飲み込まれていくのだろう。
「……確かにアレですね」
「まあ、人気になる理由は分かるかな」
「内容もまあ、なかなかに凝ってましたし」
行灯を返し、祭り会場までの間を咲夜と並んで歩きながら今日の感想を言い合う。
お化け屋敷の出口が離れたところにあるのはこのためかもしれない。
となると、やはりここをデザインした人物は相当の手練れなのだろう。
「でもこの仕掛けを考えた人は、相当に性格が悪いわね」
「ああ、あのときの咲夜」
「忘れてください……」
顔を赤らめ、彼女はうつむいた。
その新鮮な反応に、霖之助は何となく得した気分になる。
「しかし意外だね。君にも怖い物があったなんて」
「今回のは特別ですわ。でもいくつか記憶に残りそうなのがあったのも事実ね。
手形とか井戸とか……ずっと後を追ってくる視線とか」
「……そんなのあったかい?」
「あら、気づいてなかったのですか?」
今度は楽しそうに咲夜が笑っていた。
その笑顔の意味は……考えても仕方ないので、気にしないことにする。
「では店主さん、せっかく夏祭りに来たんですから、遊んで帰りません?」
「もうすっかり日も暮れてしまったようだが」
「まだまだ宵はこれからですわよ。それとも、送り狼を心配しているのかしら」
「番犬に噛み付いて返り討ちに遭う愚は犯したくないものだね」
まあ送って行くくらいならいいよと言いながら、未だ組まれたままの腕に視線を送る霖之助。
離してくれそうにもないので、とりあえずそのままにすることにした。
知り合いに見つからないといいな、などと考えながら。
その願いが虚しく消えたことと、視線の意味を知るのは……。
それから数日経ってからのことである。
舞台も共有してみた感じで。ウフフ。
霖之助 咲夜
「すまない、もう一度言ってくれないか」
「ひょっとして今日のお耳は休業日だったりします?」
「まさか、絶賛営業中さ」
少しだけ日が落ちるのが早くなったものの、未だ猛威を奮う西日にじりじりと焦がされながら、霖之助は気になる単語に視線をあげた。
本を読んでいたせいで話半分で聞いていたのを見抜かれているようだが、彼女……紅い館のメイド長は小首を傾げただけで、気にした素振りもなく言葉を続ける。
「ですから、デートのお誘いに来たのですわ」
「それはいいとして、僕が気になったのはその前の単語なんだ」
「あら、快諾してくださるとは思いませんでした。何でも言ってみるべきね」
「……咲夜、話を続けてもらっても構わないかな?」
「もう、余韻に浸らせてもくれないだなんて。店主さんは意外と強引なのですね」
唇を尖らせつつも、楽しそうに微笑む咲夜。
マイペースな彼女は香霖堂の数少ない上客のひとりだが、たまに別次元で会話をしている気分になるのが困りものである。
物言いたげな霖之助の視線を軽く受け流し、彼女はゆっくりと語り始めた。
「ちょうど今、人里で夏祭りをやっているのです」
「それは知ってる。機材の準備や整備で儲けさせてもらったからね」
「まあ、店主さんが儲けるだなんて……今年一番の怪談かしら」
「君が僕のことをどう評価しているのかがよく分かったよ」
霖之助は不機嫌そうに、手元の湯飲みを傾けた。
無論いつもの軽いやりとりだとわかっているので、本気で怒っているわけではない。
「冗談ですわ。拗ねないでくださいな」
「拗ねてない。まったく、僕は話を続けてくれと言ったんだが」
「ええ、と言ってももう終わりますけど。実はそのお祭りで、人間も妖怪も楽しめるお化け屋敷というのが最近人気らしいのですよ」
「本当かい?」
「はい。なんでも稗田と河童が全面協力したとかで」
「ふむ……なるほど、あの子がねぇ」
咲夜の話を聞き、霖之助はひとつ頷いた。
霖之助が手伝っていた祭りの準備というのは主に商店向けの機材だ。
大がかりな設備、ましてや河童の手が入っているなら気づかなくても不思議はないかもしれない。
と、先ほど気になった単語を確認しつつ、考えを巡らせる。
咲夜はそんな彼を眺めながら、笑いを堪えきれない様子で語りかけた。
「意外と情報に疎いんですね、店主さん」
「僕の商売は祭りが始まるまでで終わっていたからね。正直祭りの中身にまで関心が無かったんだよ。毎年やってるものだし」
「でも今年は今までで最大の規模らしいですよ?」
「ああ、準備の時に聞いたよ。でも来年はもっと大きな規模になるだろうさ」
もちろんどこまでも大きくなるわけではない。
どこかで落ち着く時は来るだろうが、しばらく発展は続きそうだ。
どのみちまだまだ何年も付き合っていくことになるので、いちいち驚いていたらきりが無いのである。
……と、そんなことを人間相手に言うと呆れた顔をされるのだが。
「しかし人間も妖怪も楽しめるとはどういうことなのかな。驚きや怖がるポイントなんて全然違うだろうし」
「さあ、私も行ったことがないからわかりません。ですからデートにお誘いしているんですよ。見たほうが早いと思いまして」
「百聞は一見にしかず、ということか。確かに一理あるね」
「そういうことです」
したり顔で彼女は頷き、それから立ち上がる。
「では、参りましょうか」
「……今からかい?」
「もちろん。善は急げと言うじゃないですか」
目を瞬かせる霖之助に、咲夜は瀟洒に一礼してみせるのだった。
最大規模という謳い文句に嘘はなく、里の大通りほぼ全域にわたって夏祭りは開催されていた。
雑踏の中を咲夜と並んで歩きながら、目指す場所は会場の端。
やや人気の少ない場所に、それはあった。
「意外と本格的なんだな」
「来てよかったですか?」
「その判断はまだこれからさ」
お化け屋敷の会場を前に、霖之助は感心したような声を上げた。
人間も妖怪も楽しめるという話通り、周囲にはどちらの姿も見受けられる。
誰もがどこか声を抑え気味に囁き合っているのは、この雰囲気を壊さないための配慮なのだろう。
自然とそうしてしまう不思議な魅力が、確かにそこにはあった。
「入り口がいくつかあるみたいだね」
「こっちに説明があるみたいですよ、店主さん」
手招きをする咲夜に従い、案内板に目を通す。
どうやら初級、中級、上級と分かれているらしい。
初級はこの館の中をぐるりと歩いて一周するだけの、いわゆる普通のお化け屋敷なのだろう。
それが中級になると『現役住職が詠む般若心経静聴ツアー』となり、上級に至っては『覚妖怪が行う心理カウンセリング!』などと銘打ってあった。
何となく痛む頭を押さえながら、霖之助は盛大なため息を吐き出す。
「……確かにこの内容なら人間も妖怪も楽しめるかもしれないが。まともなお化け屋敷は初級だけじゃないか」
「この難易度設定も妖怪側に対してだけでしょうね」
「確かに怖いことには怖いんだろうけど」
妖怪にとって、お経とは怪談のような物らしい。
……と、香霖堂にやってきた怖いもの好きの妖怪から話を聞いたことがある
ハーフである霖之助にはその気持ちはよく分からなかったのだが、客足が途絶えないところを見るとなかなか人気なのだろう。
「さて店主さん、どれに入りましょうか」
「君に合わせるよ。というか、選択肢は無いと思うがね」
「ふふっ、そうですね。では初級でいいですか?」
「ああ、そのために来たようなものだし」
ルートを見ても、河童の技術が生かされていそうなのは初級のお化け屋敷くらいに違いない。
ならばと歩き出し……霖之助は左腕にかかる感覚に、ふと首を傾げた。
「で、どうしてくっつくんだい?」
「だって暗いから転んでしまうかもしれないでしょう?」
「杖代わりかな、僕は」
「それにはぐれないようにしませんと」
「まあ、好きにしてくれ」
そんなやりとりをしながら、入り口で入場料を払い明かりを受け取る。
受付をしていた少女が霖之助と咲夜を見比べ、何か言いたげにしていたが……きっと気のせいだろう。
暗い順路を、気をつけながら進む。
蝋燭ではなく光量を絞った魔法の明かりのようで、絶妙な光加減が何とも言えない心細さを醸し出していた。
廃屋を模した内装はとても年季が入っており、急ごしらえで設えたとは到底思えない。
もしくは本当にどこかの廃屋を持ってきたのかもしれない。
妖怪が噛んでいるなら、それくらいの芸当は十分可能なのだから。
「しかしお化け屋敷というものに初めて入ったけど……雰囲気はさすがだな」
「きっと亡霊あたりが監修したのでしょう」
「違いない」
言っているうちに、どこかで悲鳴が聞こえてきた。
少し前に入ったペアだろう。
建物に反響して届いたそれは距離感が掴めず、遠くの出来事でもあるようでいてすぐ近くで聞こえてくるようにも錯覚される。
それもまた、周囲の境界を曖昧にするのに一役買っているようだ。
音響にもこだわっているのだろう。まったく恐ろしいほどの技術力である。
「なかなかよく出来た装置じゃないか」
「本当、この才能をもっと有効活用すればいいのに」
「それが出来たら河童じゃないよ」
機械仕掛けで飛び出してくる人面提灯やくるくる回る唐傘お化けに感心したような表情を浮かべながら、霖之助はため息をついた。
「それにしても、君は怖がったりしないんだな」
「悪魔の館に住んでますもの。これくらいで怖がってはメイド長は勤まりませんわ」
涼しい顔で彼女は言ってのけた。
何とも説得力のある言葉に頷きながら歩いていると、寺子屋の内装を模した部屋にたどり着く。
「それにしても寺子屋か」
「何か?」
場違いな笑みを零した霖之助に、咲夜は怪訝な表情を浮かべた。
たいしたことは無い、と首を振りつつ、彼は笑みを抑えて言葉を続ける。
「いや、ふと慧音のことを思い出してね。彼女は強がる割に恐がりでね。昔よく夜中の用事に連れ出されたものだよ」
「……そうですか」
「ん、何か不満そうだね」
「いいえ別に。仲よさそうだなって思っただけで……」
そこで彼女の言葉は途切れた。
何事か、と思った矢先、その理由を知る。
「…………」
真横にある障子戸が唐突に無数の赤い手形で埋め尽くされてた。
確認しようと目をこらすと、次の瞬間には元通りになっている。
どうやったのか、霖之助にもわからなかった。
あるいは、本当にそうだったのかさえすでに曖昧になっている。
「……咲夜?」
「はい?」
数瞬前に見た彼女の表情が気になり、霖之助は彼女の名を呼んだ。
しかし咲夜はいつも通り。
「行きましょうか、店主さん」
「あ、ああ」
澄ました顔で腕を引く少女に、霖之助も並んで歩き出す。
先ほどと比べるとずいぶん口数が減ったことに疑問を抱きながらも、やがて中庭のような場所に足を踏み入れた。
「井戸だな」
「井戸ですね」
目に入ったそれに、二人は顔を見合わせる。
「井戸と言えば有名な怪談があってね」
「ああ、それは私も知ってます。お皿を数え終わる前に鬼が割りに来るという」
「いやそれは違うと思う」
賽の河原の鬼とごっちゃになっているのだろうか。
そんな愉快な鬼がいるのなら見てみたいものだ。
……まあ真っ先に退治されそうではあるが。
「タネが割れている手品は面白くありませんね」
「王道も大事な物だと思うがね」
「いくら王道と言っても、この状態で井戸から声が聞こえてきたって……」
そこで咲夜は言葉を切った。
またも口を噤む彼女の視線は、井戸の上に注がれている。
「…………」
井戸の上に、真っ黒い頭と手だけが浮いていた
何も言わず、感情のない瞳でこちらをじっと見つめている。
やがてそれは、ゆっくりと手招きをし始めた。
すると周囲から子供くらいの大きさの影が滲み出し、それに導かれるように井戸の中へと躊躇うことなく身を投げていく。
しかしその顔は奈落へ消える影に目もくれず、真っ黒なそれはただ二人を見て手招きをしていた。
霖之助の目にも、どうなっているのかわからなかった。
わからないと言うことは道具ではないようだ。
もしかしたら、本物かもしれない。
「おや、少し変化球で来たようだ」
「はぅ……」
霖之助の腕を掴む彼女の手に力が入る。
顔を伏せ、身を寄せてきたのはきっと気のせいではないだろう。
「……咲夜、もしかして怖いのかい?」
「そんな、まさか」
念のため、そんなことを聞いてみた。
しかし返ってきたのはいつもの笑顔。
「私は悪魔の館のメイド長ですよ? 幽霊なんて宴会で何度も見てますし、今更そんな物が怖いはずが」
「あ、またあそこに手形が」
「ふゎ」
霖之助の言葉に、彼女はかわいらしい声を上げた。
それが引っかけだと気づいたのはすぐのことだったが、咲夜は諦めたかのように、そして恨みがましげに頬を膨らませる。
「し、仕方ないじゃないですか。西洋と東洋ではホラーの形が全然違いますし、宴会の幽霊みたいにわかりやすくないですし」
「ふむ、よくわからない物が苦手なのかな?」
「私はナイフで斬れるようなのなら微塵も恐れは抱かないんです。でも見えないうちに窓を汚すとか、わからないくらいのスキマに消えていく影とかもう気持ち悪くて」
「……なるほどね」
なんだか半分くらいはメイドとしての職業病が入っている気がしたが。
しかしまあ、東洋と西洋の違いというのはあるかもしれない。
西洋の妖怪はなんかこう、自己主張が激しいものだ。
……と、どこかの吸血鬼を思い出して霖之助はそんなことを考えていた。
「もう出ましょうよ、店主さん」
「ああ、そうだね。どのみちもうすぐ出口みたいだ」
「そうですか……じゃあこのまま順路をたどるのが一番早そうですね」
感情を吐露して、さらに恐怖が増したのかもしれない。
咲夜は霖之助の腕を胸に抱くようにしながら、ゆっくりと薄暗い道を進む。
……ぴったりとくっついているとなかなかにして歩きにくいのだが、言い出せる雰囲気でもないので黙っておくことにした。
「あれが最後の仕掛けかしら」
「ああ、たぶんね」
首吊り死体……のような置物を無感情に眺めながら、咲夜は呟いた。
こういうのは平気らしい。
……さっぱり線引きが分からないが、気にしていても仕方がない。
やがて外の明かりが見えた時、霖之助も思わず安堵のため息を漏らしていた。
知らないうちに、わりと緊張していたのかもしれない。
「外の空気がこんなに美味しいだなんて」
「お疲れ様、咲夜」
大きく深呼吸をする彼女に、霖之助は笑ってみせる。
遠くで再び誰かの悲鳴が聞こえてきた。
また新たな犠牲者がお化け屋敷に飲み込まれていくのだろう。
「……確かにアレですね」
「まあ、人気になる理由は分かるかな」
「内容もまあ、なかなかに凝ってましたし」
行灯を返し、祭り会場までの間を咲夜と並んで歩きながら今日の感想を言い合う。
お化け屋敷の出口が離れたところにあるのはこのためかもしれない。
となると、やはりここをデザインした人物は相当の手練れなのだろう。
「でもこの仕掛けを考えた人は、相当に性格が悪いわね」
「ああ、あのときの咲夜」
「忘れてください……」
顔を赤らめ、彼女はうつむいた。
その新鮮な反応に、霖之助は何となく得した気分になる。
「しかし意外だね。君にも怖い物があったなんて」
「今回のは特別ですわ。でもいくつか記憶に残りそうなのがあったのも事実ね。
手形とか井戸とか……ずっと後を追ってくる視線とか」
「……そんなのあったかい?」
「あら、気づいてなかったのですか?」
今度は楽しそうに咲夜が笑っていた。
その笑顔の意味は……考えても仕方ないので、気にしないことにする。
「では店主さん、せっかく夏祭りに来たんですから、遊んで帰りません?」
「もうすっかり日も暮れてしまったようだが」
「まだまだ宵はこれからですわよ。それとも、送り狼を心配しているのかしら」
「番犬に噛み付いて返り討ちに遭う愚は犯したくないものだね」
まあ送って行くくらいならいいよと言いながら、未だ組まれたままの腕に視線を送る霖之助。
離してくれそうにもないので、とりあえずそのままにすることにした。
知り合いに見つからないといいな、などと考えながら。
その願いが虚しく消えたことと、視線の意味を知るのは……。
それから数日経ってからのことである。
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No title
さてはて、悟られたのか、視られたのか。緑眼の怪物か、スキマに逃げる影か。
どれだとしても面白い展開になりそうですねw
咲夜さんが紅魔館の食事方もやってるとしたら、そらスプラッタは怖くないですわな。
エキゾチックジャパニーズホラーにおびえる姿、楽しませて頂きました
どれだとしても面白い展開になりそうですねw
咲夜さんが紅魔館の食事方もやってるとしたら、そらスプラッタは怖くないですわな。
エキゾチックジャパニーズホラーにおびえる姿、楽しませて頂きました
東洋ホラーは精神にきますからね。
完璧瀟洒なメイド長が気の抜ける声を出しても仕方がないんじゃないですかね。
克服するために何度も駆り出される店主とかあても仕方が無いんじゃないですかね!
完璧瀟洒なメイド長が気の抜ける声を出しても仕方がないんじゃないですかね。
克服するために何度も駆り出される店主とかあても仕方が無いんじゃないですかね!
No title
ふゎ、だってよ!?
あの完全瀟洒なメイド長がふゎ、だってよ!?
その一言だけでご飯三杯はイケますね
ところで中級と上級コースって一部の特化した変t、もといプロフェッショナル達にはただの御褒美なんじゃない? と思ったわけですが
ええい、幻想郷への入り口はどこだ!? 俺も寺の美人過ぎる住職に南無三されたり小五ロリにトラウマ抉られたりしt(ry
あの完全瀟洒なメイド長がふゎ、だってよ!?
その一言だけでご飯三杯はイケますね
ところで中級と上級コースって一部の特化した変t、もといプロフェッショナル達にはただの御褒美なんじゃない? と思ったわけですが
ええい、幻想郷への入り口はどこだ!? 俺も寺の美人過ぎる住職に南無三されたり小五ロリにトラウマ抉られたりしt(ry
後日談の修羅場のシーンが見たいと思ってしまったw
No title
「はぅ」とか「ふゎ」とか、今回の咲夜の萌え度が未知数過ぎて恐ろしいですwww
霖之助的には今回のお化け屋敷はさほど怖くはなかったでしょうが、彼の恐怖体験はむしろこれからでしょうからね(笑) 視線の主はもちろん、中級と上級でマジメに働いている現役住職と覚妖怪が今回の出来事を知った日のことを考えると・・・無事でいられるのか心配になりますよwww
霖之助的には今回のお化け屋敷はさほど怖くはなかったでしょうが、彼の恐怖体験はむしろこれからでしょうからね(笑) 視線の主はもちろん、中級と上級でマジメに働いている現役住職と覚妖怪が今回の出来事を知った日のことを考えると・・・無事でいられるのか心配になりますよwww
なんですか
「ふぁ」って!!
ただでさえカワユイ
咲夜さんの可愛さが
天元突破じゃないですか!!
そして、その後の
「それはどういうつもりなんだぜ?」
「咲夜、胸が当たっているだが…」
「ふふっ、嬉しいですか?」
「こ、こーりんの馬鹿ー!!」
的な展開はまだですか?
「ふぁ」って!!
ただでさえカワユイ
咲夜さんの可愛さが
天元突破じゃないですか!!
そして、その後の
「それはどういうつもりなんだぜ?」
「咲夜、胸が当たっているだが…」
「ふふっ、嬉しいですか?」
「こ、こーりんの馬鹿ー!!」
的な展開はまだですか?
取り敢えず、君たち付き合っちゃいなさい。
という、一言をもうしたくなる作品でした。
いやぁ、デートと言われて否定せず、付き合う霖之助さん。怖がり、気丈に振る舞いつつも、素の部分が隠しきれていない可愛らしい咲夜さん。堪能させていただきました。
良いなぁ、何かムラムラしてきたなぁ。夏のうちに何か書きたいなぁ・・・
という、一言をもうしたくなる作品でした。
いやぁ、デートと言われて否定せず、付き合う霖之助さん。怖がり、気丈に振る舞いつつも、素の部分が隠しきれていない可愛らしい咲夜さん。堪能させていただきました。
良いなぁ、何かムラムラしてきたなぁ。夏のうちに何か書きたいなぁ・・・
No title
和製のホラーは自分たちではどうする事もできない所が怖いのです。
それはそうと、某スキマ妖怪さん、覗き見とは感心しませんなぁ~
それはそうと、某スキマ妖怪さん、覗き見とは感心しませんなぁ~
No title
今回も最高でした!上級コースにもし行ってたら、本当の納涼になってましたね。
No title
この後の、怨霊じみた少女たちによる修羅場までセットでお化け屋敷だったんですかわかりません
No title
昨夜さんのギャプがかわいすぎる~><
ここの昨夜さんの小説はいいのがありすぎて困るわ~w
ここの昨夜さんの小説はいいのがありすぎて困るわ~w