山伏衣変
ひなみさんの絵にSSを付けさせていただきました。
文が霖之助さんに天狗の服着せて「ほえ~」みたいな感じということだったので。
感謝感謝。ウフフ。
霖之助 文
青く、雲ひとつない空が広がっていた。
香霖堂の窓から見ただけでも、とてもいい天気だとわかる。
春と夏の境目、梅雨に入る前の季節。
気温の変化にさえ気をつければ、過ごしやすい時期だ。
腰の重い霖之助さえも、思わず出掛けてみようかという気分にすらなる。
湖の縁を歩いてみるのもいいし、久し振りに人里に行くのもいいかもしれない。
霖之助は早速頭の中でプランを練り始めた。
陽気のせいか、気分も少し浮かれているようだ。
だが。
「霖之助さん! 一大事ですよ、一大事!」
聞き覚えのある声が、突風を伴ってやって来た。
勢いよく開けられ、そして閉められたドアとカウベルが悲鳴のような音を立てているのがすごく気になる。
「お客なら歓迎するよ、文。それ以外なら……」
「もちろんそれ以外ですけど、お願いがあるんです!」
即答する彼女に、霖之助は思わず頭を抱えた。
どうやら厄介事のフットワークも、この陽気で随分と軽くなっているらしい。
『山伏衣変』
「まだですか? 霖之助さん」
「今急いでるところだよ。もう少し時間をくれないか」
店の奥にいる霖之助からの返事を聞きながら、文は香霖堂の店内を忙しなく歩き回る。
かと思えばカウンターに膝を付き、指先でコンコンと叩いた。
「それに思っていたより複雑でね。……なるほど、こうなっているのか」
「感心するのもいいですけど、あとで好きなだけ調べていいですからぁ」
珍しく落ち着かない様子で、文は余裕なさげに言葉を放つ。
時間にしてほんの数分。
だがその間、彼女は絶えず動き回っていた気がする。
やがて奥への扉が開く音を聞きつけ、文はパッと顔を輝かせた。
「待たせたね。これで多分大丈夫だ」
「あ、はい。あとはこれを羽織って……」
店内に現れた霖之助を見て、しかし彼女は動きを止める。
彼が着ているのは、文が持ってきた天狗の服だ。
初めて着るものなので随分手間取ってしまった。
「ほえ~……」
「文?」
なにやら惚けたような表情の文に、怪訝な顔をする霖之助。
至近距離で輝く金の瞳に、彼女ははっと我に返った。
「ッ!! す、すみません、ちょっとボーッとしちゃって」
「大丈夫かい? もし熱でもあるのなら……」
「いえ、むしろ絶好調です、眼福です、はい!」
そのわりには、文の視線はなんとなく熱を帯びたようでもある。
それに気のせいか顔が紅い気もするのだが。
本人が大丈夫というのならそうなのだろう。
「その、新鮮すぎて……。意外と似合いますね」
「そうかい? 自分じゃわからないが……」
「そりゃもう、ってそんなことやってる場合じゃないんでした。霖之助さん、これを羽織って下さい」
「これは……隠れ蓑、かな」
名称、天狗の隠れ蓑。
用途は姿を消すこと。
そう言えば、似たような話を昔話で聞いた気もする。
「服の上からでいいのかい?」
「はい。そこに袖を通して……」
文の言う通りに、隠れ蓑を羽織る。
だが別に変わった様子はない。
自分では視認できるようになっているのだろうか。
「想像していたのとはなんだか違うね。
河童の光学迷彩スーツのようなのを想像してたんだが」
「あんなの私たちのものをパクッただけですよ」
自信満々に胸を張る文。
天狗の道具にはやはりプライドがあるのかもしれない。
「しかしこれを着ても、文はちゃんと僕がわかるのかな」
「え? 霖之助さんなら目の前にいるじゃないですか」
「ん? しかし隠れ蓑とは……」
そこまで言って、霖之助は違和感に気付いた。
そしてそれは文も同様だったらしい。
「ああ、この隠れ蓑は姿を消すわけではありませんよ。
自分に対しての能力を及ばなくするだけです。完全にではありませんが」
頭の回転の速い彼女らしく、霖之助の疑問を的確に答えてくる。
「目や鼻が効く妖怪はごまんといますからね。それ対策ですよ」
「なるほどね」
目が効くと聞いて、最初に浮かんだのは椛の姿だった。
つまり千里眼などを回避するのだろう。
ほとんど視覚を頼りにする人間とは違い、嗅覚や聴覚が人間とは桁違いに高い妖怪は数多い。
そのような妖怪にとって、例えば目の届かない距離で嗅覚を消されれば、確かに姿を消したように感じられるだろう。
確かに、用途的には間違っていないと言うことか。
「で、この服を着れば本当に天狗の印刷機械を見せてくれるのかい?」
「もちろんですよ。ただしちょっと手伝って貰いますけど」
「そう来るだろうとは思ってたよ。僕は何を手伝えばいいのかな」
「説明は行きながらします。ちょっとこっちに来て下さい」
文に手を引かれ、霖之助は香霖堂の外へと連れ出される。
予想より小さく、そしてやわらかい手のひら。
これだけではとても幻想郷でトップクラスの実力者とは思えない。
「飛びますよー」
「飛ぶって……」
「もちろん、妖怪の山です」
言うが早いが、ふたりを風が包み込んだ。
考えてみれば、印刷機械を見るには山に行かなければならないわけで。
休業の札も出してないのに、と思ったらいつの間にか用意されていた。
文がやったらしい。準備のいいことだ。
了承はしていないのだが。
「実はですねぇ、今回原稿の締め切りに遅れてしまいまして」
「ふむ、文々。新聞がかい?」
「そうなんですよ。お恥ずかしいことに」
霖之助の思考を読んでか、文は事情を説明し始める。
恥ずかしそうな表情をしているものの、そのまま鵜呑みにするのも危険だろう。
どこまでが本当かはわからないわけだし。
「なんとか原稿は完成したんですけど、既に受付期間が終了してましてね。
そこでそっと忍び込んで、原稿を置いてこようかと」
「だいたいわかった。しかし誰かに見つかるとまずいんじゃないか?」
「大丈夫ですよ、今日は山の皆と神社で宴会が行われてますから。
ほとんど出払ってるはずです」
会話している間にも、周囲の光景はあっという間に流れていく。
しかし霖之助に風が当たるかというとそうでもない。
纏っている風がきちんと障壁になっているらしい。
「そう言えばこの服は君のと少し違うね」
「ええ、それは山伏天狗の服なんですよ。山伏天狗は印刷担当なんですよね」
「……つまり、僕に天狗の振りをしろということかな」
「察しがよくて助かります」
今までのやりとりと、文がわざわざ霖之助に山伏天狗の格好をさせた理由を考えれば明らかである。
要するに、忍び込む手伝いをしろと……。
いや、忍び込んで来いとさえ言う気かもしれない。
仲間の天狗に頼まなかったのは締め切りを破ったことを秘密にしたいせいか。
もしくは別の理由か。
そうこうしているうちに、ふたりを乗せた風は次第に速度を弛めていった。
妖怪の山の中腹あたりにふわりと降り立つ。
「ちょっと待っててくださいね」
文はどこからか霖之助が来ているのと同じ隠れ蓑を取り出した。
そしてくるりと自分でも羽織る。
「妖怪の山なのに、君も着るのかい?」
「ええ、もちろんですよ。これから行くところは鴉天狗立入禁止区域ですからね」
「立入禁止だって?」
「はい、そうです」
思わず聞き返してしまった。
しかし文は大したことでもないという様子で、肩を竦める。
そして霖之助を先導するように歩き出した。
「仮に霖之助さんが何かの試験を受けるとして、別の受験者がその答案用紙の保管庫に入ったら、どう思います?」
「……なるほどね」
言わんとしていることはわかった。
確かにそう考えると無理もないことだ。
「疑わしいことはやらない。仲間意識を保つためにも必要なことなんですよ。
そしてそのための掟です」
しかしながら、人目を避けるやり方も、この道も。
言葉とは裏腹に、慣れた様子で文は歩き続ける。
ひょっとしたら前にも来たことがあるのかもしれない。
それが今回と同じ理由かはともかく。
「ストップ」
文が手を上げ、物陰に身を潜める。
視線を追うと、小さな入り口が目に入った。
「あそこに詰め所があるんですが、たぶん宿直の河童がいるはずです。
霖之助さんはあそこに行って鍵を借りてきてください」
「宿直? 皆で宴会じゃなかったのかい?」
「どこにでも貧乏くじを引くのはいるってことですよ」
「やれやれ、同情してしまうね。
しかし、顔を見られたらばれるんじゃないのかな」
「河童なんて手のあたりしか見ませんからね。自分の作業に忙しくて」
「そのためのこの服というわけか」
ため息を吐き、首を振る。
何をやるべきかはもうわかっていた。
やること自体はそう難しくはない。
問題は出来るかどうかだけで。
霖之助はあえて足音を立てながら詰め所に近寄っていく。
こうすることで先に存在を示し、驚かせないようにするためだ。
そして詰め所にいた河童らしき少女に声をかける。
なにやら作業中らしく、顔を伏せている。
「すまない、ちょっと中に忘れ物をしてしまって入りたいんだが……」
「あー、はいはい。天狗様はこんな日にもお仕事大変ですねーぇ」
こんな日に、と河童の少女は言った。
それは宴会に行けない自分の身のことを言っているのかもしれない。
それにしても、聞き覚えのある声だ。
いやむしろ、青い髪を横で縛った見覚えのある髪型。
「ちゃんと返してくださいよー」
霖之助は彼女から無言で鍵を受け取った。
その少女は作業に集中しているせいか顔を上げなかったが……もし見られていたら一発でばれていただろう。
「よくやってくれました」
「文、あそこにいたのってもしかして……」
「くじ運が悪いって不幸ですよねぇ」
文はそう言って苦笑を浮かべる。
文は今日の宿直が誰かを知っていたのだろうか。
もしくは、彼女にも話せない理由があったのかもしれない。
おそらく聞いても教えてはくれないだろうが。
「はい、ここですよ。鍵を」
霖之助は文に鍵を渡し、彼女のあとに続く。
「……すごいな」
「でしょう?」
扉を開けた瞬間、機械音が響き渡った。
新聞の印刷に必要な機械の全てが収められているらしいこの一室は、かなりの広さがある。
霖之助の目で見える機械たちは、全て違う名前で、同じ用途に見えた。
つまり、新聞を作ること。
これだけで、ここまで来たかいがあったかもしれない。
「これらは全て河童製です。年代物から最新までいろいろありますよ」
「なるほどなるほど。それぞれの機械で基本機構が違うようだが」
「別の河童が手がけてますからね。
私たちも構造はさっぱり知りませんし、使えれば中身なんてどうでもいいんです」
「動けばいい、というわけか」
合理的な天狗らしい考えだ。
しかしそう考えてみると、あそこにいた河童の少女はもし機械が故障した場合、すぐに直せるというわけでもないのだろう。
あくまで連絡係と言うことか。
……ますます貧乏くじ的なポジションに思えてきた。
「あった……」
機械に見入っていた霖之助の背後で、文のため息聞こえてきた。
「ん? 何か言ったかい?」
「いえいえ、なんでも。
原稿を置きましたので、私の目的は完了しましたよ。
あまり長居はできませんので、気が済んだら出ましょう」
「了解。忘れ物を取りに来たんだったね、僕たちは」
「いえいえ、ここに来たのは名もない山伏天狗ひとりだけですよ」
「……ああ、そうだったね」
文はここに立ち入ってはいない。
そう言う約束だ。
霖之助は機械を一通り見て回ると、しっかりと脳裏に焼き付けた。
後日、にとりに構造を聞いてみるとしよう。
今日の貧乏くじの労いも兼ねて。
「名残は尽きないが、この辺で引き上げるよ」
「そうですか? じゃあ、行きましょう」
印刷室をから出ると、機械音はほとんど聞こえなくなった。
特殊な防音装置でもあるのかもしれない。
来た時と同じように鍵を返し、その隙に文は近くの茂みに身を隠した。
霖之助は何食わぬ顔で彼女と合流し、その場を離れる。
「やれやれ、これで僕の役目も終わりかな」
大きくため息を吐き、霖之助は笑みを浮かべる。
いいものも見れたし、肩の荷が下りた気分だった。
しかし。
「あやや、何を言ってるんですか? 霖之助さん」
しっかりと文は霖之助の腕を絡めてきた。
身体が密着し、吐息と共に声が耳元に響く。
「だって、君の目的は果たしたんだろう?」
「私、言いましたよね。今日は宴会があるって」
宴会という言葉に、なんとも言えない嫌な予感が走った。
だが時既に遅し。
既に文は山の中心に向かって歩き出している。
「実はですね、この山の中で隠れ蓑を纏うのは御法度なんですよ。
仲間を欺くことに繋がりかねないってことで」
「ああ、それはわかった。わかったから離してくれないか」
「それはできませんねぇ」
「僕を欺くのはいいのかい?」
「掟を破ったらそれはこわーい制裁が待ってるんですよ」
「僕は君が怖いよ」
霖之助の抗議を無視して、文はますます腕に力を込めた。
歩きにくいと思うのだが、不思議なことに速度に変わりはない。
「でも霖之助さんを連れていくためのサプライズなら許してくれると思うんですよね。
というわけで是非」
「いや、僕は酒は静かに飲みたいんだが……」
霖之助の脳裏に散々飲まされた記憶が蘇る。
もう天狗と飲むのはこりごりだと思ったものだ。
樽で酒を渡されても困る。
しかもそれが挨拶代わりだからどうしようもない。
「大丈夫です、私が守りますから!」
「前も同じ言葉を聞いた気がするんだがね」
前回の飲み会にも文はいたはずだった。
いたはずなのに、あの結果である。
「今はそれに、山の神もいますし」
「そうだね、ウワバミばかりだね」
「運がよければ誰かに印刷機械のこととか教えてもらえるかもしれませんよ」
「……せめて樽酒は勘弁してくれよ」
諦めと苦笑いの混じった表情で、霖之助は首を振る。
それは開き直りにも似た心境だったが、天狗の酒は確かに美味い。
ただ量が尋常ではないだけで。
……せめて着いたら最初に酔い止めを貰おうと、心に決めたのだった。
「今日はいい写真がたくさん撮れましたね。思わぬ収穫です」
妖怪の山にある文の自室。
彼女は満面の笑みで、現像したての写真を並べていた。
時刻はもうすっかり昼を回っている。
結局一晩中……いや、それ以上宴会は続いた。
文もずっと酒を呑んでいたはずなのだが、特に顔色に変わった様子はない。
これくらいで泥酔していては天狗失格である。
「……霖之助さん、大丈夫でしょうか」
最初の10分ほどはペースを守って飲んでいたのだが、天狗に囲まれては逃げ切れるものではない。
結局霖之助は倒れるまで飲まされたのだった。
最初は文の自室で介抱しようとしたのだが、みんな居る場所の方がかえって安全ということで、神社に寝かされていた。
ひどい話である。
「怒ってるかな。送っていく時話してみましょ」
現像した写真を、霖之助の写真とそれ以外に分ける。
霖之助の写真はお気に入りファイルの中に綺麗に保存。
「それにしても、危なかったですね」
文は視線を動かし、新聞の原稿入れを見る。
そこには印刷室から取り戻してきた原稿が収められていた。
締め切りに遅れたからと霖之助には伝えたのは真っ赤な嘘である。
「まさか、私の妄想日記を原稿として渡してしまうとは……一生の不覚です」
仲間の天狗にも、知り合いの河童にも頼めなかったのはこれが原因だった。
万が一にも原稿の内容を見られるわけには行かなかったのだ。
自分の手で取り戻すために霖之助に協力して貰ったわけだが、いろいろと副産物も入手できたので結果は大満足だった。
「霖之助さんにはあとで埋め合わせしないと行けませんね」
お礼に食事に誘ってもいいのだが、警戒されるかもしれない。
それなら興味を引く道具を渡してもいい。
でも今回の件で好感度はそれほど下がっていないはずだ。
たぶん。きっと。
喜んでたし。
大丈夫だと、思う。
「香霖堂店主、熱愛発覚! ……かぁ」
妄想日記の一節を読みながら、文はため息を吐く。
これが新聞として発行されていたらと思うと、乾いた笑いしか出ない。
だけど。
「私は清く正しい射命丸ですからね。
正しい記事を書きますよ、ええ」
文は改めてペンを握りしめた。
いつか、この日記のことが現実になりますようにと。
文が霖之助さんに天狗の服着せて「ほえ~」みたいな感じということだったので。
感謝感謝。ウフフ。
霖之助 文
青く、雲ひとつない空が広がっていた。
香霖堂の窓から見ただけでも、とてもいい天気だとわかる。
春と夏の境目、梅雨に入る前の季節。
気温の変化にさえ気をつければ、過ごしやすい時期だ。
腰の重い霖之助さえも、思わず出掛けてみようかという気分にすらなる。
湖の縁を歩いてみるのもいいし、久し振りに人里に行くのもいいかもしれない。
霖之助は早速頭の中でプランを練り始めた。
陽気のせいか、気分も少し浮かれているようだ。
だが。
「霖之助さん! 一大事ですよ、一大事!」
聞き覚えのある声が、突風を伴ってやって来た。
勢いよく開けられ、そして閉められたドアとカウベルが悲鳴のような音を立てているのがすごく気になる。
「お客なら歓迎するよ、文。それ以外なら……」
「もちろんそれ以外ですけど、お願いがあるんです!」
即答する彼女に、霖之助は思わず頭を抱えた。
どうやら厄介事のフットワークも、この陽気で随分と軽くなっているらしい。
『山伏衣変』
「まだですか? 霖之助さん」
「今急いでるところだよ。もう少し時間をくれないか」
店の奥にいる霖之助からの返事を聞きながら、文は香霖堂の店内を忙しなく歩き回る。
かと思えばカウンターに膝を付き、指先でコンコンと叩いた。
「それに思っていたより複雑でね。……なるほど、こうなっているのか」
「感心するのもいいですけど、あとで好きなだけ調べていいですからぁ」
珍しく落ち着かない様子で、文は余裕なさげに言葉を放つ。
時間にしてほんの数分。
だがその間、彼女は絶えず動き回っていた気がする。
やがて奥への扉が開く音を聞きつけ、文はパッと顔を輝かせた。
「待たせたね。これで多分大丈夫だ」
「あ、はい。あとはこれを羽織って……」
店内に現れた霖之助を見て、しかし彼女は動きを止める。
彼が着ているのは、文が持ってきた天狗の服だ。
初めて着るものなので随分手間取ってしまった。
「ほえ~……」
「文?」
なにやら惚けたような表情の文に、怪訝な顔をする霖之助。
至近距離で輝く金の瞳に、彼女ははっと我に返った。
「ッ!! す、すみません、ちょっとボーッとしちゃって」
「大丈夫かい? もし熱でもあるのなら……」
「いえ、むしろ絶好調です、眼福です、はい!」
そのわりには、文の視線はなんとなく熱を帯びたようでもある。
それに気のせいか顔が紅い気もするのだが。
本人が大丈夫というのならそうなのだろう。
「その、新鮮すぎて……。意外と似合いますね」
「そうかい? 自分じゃわからないが……」
「そりゃもう、ってそんなことやってる場合じゃないんでした。霖之助さん、これを羽織って下さい」
「これは……隠れ蓑、かな」
名称、天狗の隠れ蓑。
用途は姿を消すこと。
そう言えば、似たような話を昔話で聞いた気もする。
「服の上からでいいのかい?」
「はい。そこに袖を通して……」
文の言う通りに、隠れ蓑を羽織る。
だが別に変わった様子はない。
自分では視認できるようになっているのだろうか。
「想像していたのとはなんだか違うね。
河童の光学迷彩スーツのようなのを想像してたんだが」
「あんなの私たちのものをパクッただけですよ」
自信満々に胸を張る文。
天狗の道具にはやはりプライドがあるのかもしれない。
「しかしこれを着ても、文はちゃんと僕がわかるのかな」
「え? 霖之助さんなら目の前にいるじゃないですか」
「ん? しかし隠れ蓑とは……」
そこまで言って、霖之助は違和感に気付いた。
そしてそれは文も同様だったらしい。
「ああ、この隠れ蓑は姿を消すわけではありませんよ。
自分に対しての能力を及ばなくするだけです。完全にではありませんが」
頭の回転の速い彼女らしく、霖之助の疑問を的確に答えてくる。
「目や鼻が効く妖怪はごまんといますからね。それ対策ですよ」
「なるほどね」
目が効くと聞いて、最初に浮かんだのは椛の姿だった。
つまり千里眼などを回避するのだろう。
ほとんど視覚を頼りにする人間とは違い、嗅覚や聴覚が人間とは桁違いに高い妖怪は数多い。
そのような妖怪にとって、例えば目の届かない距離で嗅覚を消されれば、確かに姿を消したように感じられるだろう。
確かに、用途的には間違っていないと言うことか。
「で、この服を着れば本当に天狗の印刷機械を見せてくれるのかい?」
「もちろんですよ。ただしちょっと手伝って貰いますけど」
「そう来るだろうとは思ってたよ。僕は何を手伝えばいいのかな」
「説明は行きながらします。ちょっとこっちに来て下さい」
文に手を引かれ、霖之助は香霖堂の外へと連れ出される。
予想より小さく、そしてやわらかい手のひら。
これだけではとても幻想郷でトップクラスの実力者とは思えない。
「飛びますよー」
「飛ぶって……」
「もちろん、妖怪の山です」
言うが早いが、ふたりを風が包み込んだ。
考えてみれば、印刷機械を見るには山に行かなければならないわけで。
休業の札も出してないのに、と思ったらいつの間にか用意されていた。
文がやったらしい。準備のいいことだ。
了承はしていないのだが。
「実はですねぇ、今回原稿の締め切りに遅れてしまいまして」
「ふむ、文々。新聞がかい?」
「そうなんですよ。お恥ずかしいことに」
霖之助の思考を読んでか、文は事情を説明し始める。
恥ずかしそうな表情をしているものの、そのまま鵜呑みにするのも危険だろう。
どこまでが本当かはわからないわけだし。
「なんとか原稿は完成したんですけど、既に受付期間が終了してましてね。
そこでそっと忍び込んで、原稿を置いてこようかと」
「だいたいわかった。しかし誰かに見つかるとまずいんじゃないか?」
「大丈夫ですよ、今日は山の皆と神社で宴会が行われてますから。
ほとんど出払ってるはずです」
会話している間にも、周囲の光景はあっという間に流れていく。
しかし霖之助に風が当たるかというとそうでもない。
纏っている風がきちんと障壁になっているらしい。
「そう言えばこの服は君のと少し違うね」
「ええ、それは山伏天狗の服なんですよ。山伏天狗は印刷担当なんですよね」
「……つまり、僕に天狗の振りをしろということかな」
「察しがよくて助かります」
今までのやりとりと、文がわざわざ霖之助に山伏天狗の格好をさせた理由を考えれば明らかである。
要するに、忍び込む手伝いをしろと……。
いや、忍び込んで来いとさえ言う気かもしれない。
仲間の天狗に頼まなかったのは締め切りを破ったことを秘密にしたいせいか。
もしくは別の理由か。
そうこうしているうちに、ふたりを乗せた風は次第に速度を弛めていった。
妖怪の山の中腹あたりにふわりと降り立つ。
「ちょっと待っててくださいね」
文はどこからか霖之助が来ているのと同じ隠れ蓑を取り出した。
そしてくるりと自分でも羽織る。
「妖怪の山なのに、君も着るのかい?」
「ええ、もちろんですよ。これから行くところは鴉天狗立入禁止区域ですからね」
「立入禁止だって?」
「はい、そうです」
思わず聞き返してしまった。
しかし文は大したことでもないという様子で、肩を竦める。
そして霖之助を先導するように歩き出した。
「仮に霖之助さんが何かの試験を受けるとして、別の受験者がその答案用紙の保管庫に入ったら、どう思います?」
「……なるほどね」
言わんとしていることはわかった。
確かにそう考えると無理もないことだ。
「疑わしいことはやらない。仲間意識を保つためにも必要なことなんですよ。
そしてそのための掟です」
しかしながら、人目を避けるやり方も、この道も。
言葉とは裏腹に、慣れた様子で文は歩き続ける。
ひょっとしたら前にも来たことがあるのかもしれない。
それが今回と同じ理由かはともかく。
「ストップ」
文が手を上げ、物陰に身を潜める。
視線を追うと、小さな入り口が目に入った。
「あそこに詰め所があるんですが、たぶん宿直の河童がいるはずです。
霖之助さんはあそこに行って鍵を借りてきてください」
「宿直? 皆で宴会じゃなかったのかい?」
「どこにでも貧乏くじを引くのはいるってことですよ」
「やれやれ、同情してしまうね。
しかし、顔を見られたらばれるんじゃないのかな」
「河童なんて手のあたりしか見ませんからね。自分の作業に忙しくて」
「そのためのこの服というわけか」
ため息を吐き、首を振る。
何をやるべきかはもうわかっていた。
やること自体はそう難しくはない。
問題は出来るかどうかだけで。
霖之助はあえて足音を立てながら詰め所に近寄っていく。
こうすることで先に存在を示し、驚かせないようにするためだ。
そして詰め所にいた河童らしき少女に声をかける。
なにやら作業中らしく、顔を伏せている。
「すまない、ちょっと中に忘れ物をしてしまって入りたいんだが……」
「あー、はいはい。天狗様はこんな日にもお仕事大変ですねーぇ」
こんな日に、と河童の少女は言った。
それは宴会に行けない自分の身のことを言っているのかもしれない。
それにしても、聞き覚えのある声だ。
いやむしろ、青い髪を横で縛った見覚えのある髪型。
「ちゃんと返してくださいよー」
霖之助は彼女から無言で鍵を受け取った。
その少女は作業に集中しているせいか顔を上げなかったが……もし見られていたら一発でばれていただろう。
「よくやってくれました」
「文、あそこにいたのってもしかして……」
「くじ運が悪いって不幸ですよねぇ」
文はそう言って苦笑を浮かべる。
文は今日の宿直が誰かを知っていたのだろうか。
もしくは、彼女にも話せない理由があったのかもしれない。
おそらく聞いても教えてはくれないだろうが。
「はい、ここですよ。鍵を」
霖之助は文に鍵を渡し、彼女のあとに続く。
「……すごいな」
「でしょう?」
扉を開けた瞬間、機械音が響き渡った。
新聞の印刷に必要な機械の全てが収められているらしいこの一室は、かなりの広さがある。
霖之助の目で見える機械たちは、全て違う名前で、同じ用途に見えた。
つまり、新聞を作ること。
これだけで、ここまで来たかいがあったかもしれない。
「これらは全て河童製です。年代物から最新までいろいろありますよ」
「なるほどなるほど。それぞれの機械で基本機構が違うようだが」
「別の河童が手がけてますからね。
私たちも構造はさっぱり知りませんし、使えれば中身なんてどうでもいいんです」
「動けばいい、というわけか」
合理的な天狗らしい考えだ。
しかしそう考えてみると、あそこにいた河童の少女はもし機械が故障した場合、すぐに直せるというわけでもないのだろう。
あくまで連絡係と言うことか。
……ますます貧乏くじ的なポジションに思えてきた。
「あった……」
機械に見入っていた霖之助の背後で、文のため息聞こえてきた。
「ん? 何か言ったかい?」
「いえいえ、なんでも。
原稿を置きましたので、私の目的は完了しましたよ。
あまり長居はできませんので、気が済んだら出ましょう」
「了解。忘れ物を取りに来たんだったね、僕たちは」
「いえいえ、ここに来たのは名もない山伏天狗ひとりだけですよ」
「……ああ、そうだったね」
文はここに立ち入ってはいない。
そう言う約束だ。
霖之助は機械を一通り見て回ると、しっかりと脳裏に焼き付けた。
後日、にとりに構造を聞いてみるとしよう。
今日の貧乏くじの労いも兼ねて。
「名残は尽きないが、この辺で引き上げるよ」
「そうですか? じゃあ、行きましょう」
印刷室をから出ると、機械音はほとんど聞こえなくなった。
特殊な防音装置でもあるのかもしれない。
来た時と同じように鍵を返し、その隙に文は近くの茂みに身を隠した。
霖之助は何食わぬ顔で彼女と合流し、その場を離れる。
「やれやれ、これで僕の役目も終わりかな」
大きくため息を吐き、霖之助は笑みを浮かべる。
いいものも見れたし、肩の荷が下りた気分だった。
しかし。
「あやや、何を言ってるんですか? 霖之助さん」
しっかりと文は霖之助の腕を絡めてきた。
身体が密着し、吐息と共に声が耳元に響く。
「だって、君の目的は果たしたんだろう?」
「私、言いましたよね。今日は宴会があるって」
宴会という言葉に、なんとも言えない嫌な予感が走った。
だが時既に遅し。
既に文は山の中心に向かって歩き出している。
「実はですね、この山の中で隠れ蓑を纏うのは御法度なんですよ。
仲間を欺くことに繋がりかねないってことで」
「ああ、それはわかった。わかったから離してくれないか」
「それはできませんねぇ」
「僕を欺くのはいいのかい?」
「掟を破ったらそれはこわーい制裁が待ってるんですよ」
「僕は君が怖いよ」
霖之助の抗議を無視して、文はますます腕に力を込めた。
歩きにくいと思うのだが、不思議なことに速度に変わりはない。
「でも霖之助さんを連れていくためのサプライズなら許してくれると思うんですよね。
というわけで是非」
「いや、僕は酒は静かに飲みたいんだが……」
霖之助の脳裏に散々飲まされた記憶が蘇る。
もう天狗と飲むのはこりごりだと思ったものだ。
樽で酒を渡されても困る。
しかもそれが挨拶代わりだからどうしようもない。
「大丈夫です、私が守りますから!」
「前も同じ言葉を聞いた気がするんだがね」
前回の飲み会にも文はいたはずだった。
いたはずなのに、あの結果である。
「今はそれに、山の神もいますし」
「そうだね、ウワバミばかりだね」
「運がよければ誰かに印刷機械のこととか教えてもらえるかもしれませんよ」
「……せめて樽酒は勘弁してくれよ」
諦めと苦笑いの混じった表情で、霖之助は首を振る。
それは開き直りにも似た心境だったが、天狗の酒は確かに美味い。
ただ量が尋常ではないだけで。
……せめて着いたら最初に酔い止めを貰おうと、心に決めたのだった。
「今日はいい写真がたくさん撮れましたね。思わぬ収穫です」
妖怪の山にある文の自室。
彼女は満面の笑みで、現像したての写真を並べていた。
時刻はもうすっかり昼を回っている。
結局一晩中……いや、それ以上宴会は続いた。
文もずっと酒を呑んでいたはずなのだが、特に顔色に変わった様子はない。
これくらいで泥酔していては天狗失格である。
「……霖之助さん、大丈夫でしょうか」
最初の10分ほどはペースを守って飲んでいたのだが、天狗に囲まれては逃げ切れるものではない。
結局霖之助は倒れるまで飲まされたのだった。
最初は文の自室で介抱しようとしたのだが、みんな居る場所の方がかえって安全ということで、神社に寝かされていた。
ひどい話である。
「怒ってるかな。送っていく時話してみましょ」
現像した写真を、霖之助の写真とそれ以外に分ける。
霖之助の写真はお気に入りファイルの中に綺麗に保存。
「それにしても、危なかったですね」
文は視線を動かし、新聞の原稿入れを見る。
そこには印刷室から取り戻してきた原稿が収められていた。
締め切りに遅れたからと霖之助には伝えたのは真っ赤な嘘である。
「まさか、私の妄想日記を原稿として渡してしまうとは……一生の不覚です」
仲間の天狗にも、知り合いの河童にも頼めなかったのはこれが原因だった。
万が一にも原稿の内容を見られるわけには行かなかったのだ。
自分の手で取り戻すために霖之助に協力して貰ったわけだが、いろいろと副産物も入手できたので結果は大満足だった。
「霖之助さんにはあとで埋め合わせしないと行けませんね」
お礼に食事に誘ってもいいのだが、警戒されるかもしれない。
それなら興味を引く道具を渡してもいい。
でも今回の件で好感度はそれほど下がっていないはずだ。
たぶん。きっと。
喜んでたし。
大丈夫だと、思う。
「香霖堂店主、熱愛発覚! ……かぁ」
妄想日記の一節を読みながら、文はため息を吐く。
これが新聞として発行されていたらと思うと、乾いた笑いしか出ない。
だけど。
「私は清く正しい射命丸ですからね。
正しい記事を書きますよ、ええ」
文は改めてペンを握りしめた。
いつか、この日記のことが現実になりますようにと。
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No title
妄想日記wwwww
でも文の妄想の中身なら見てみたいかも!
・・・・・・ん?こんな時間に誰か来たようだ。
でも文の妄想の中身なら見てみたいかも!
・・・・・・ん?こんな時間に誰か来たようだ。
No title
霖之助を振り回す文がかわいいw
ひなみさんの絵もステキですー
ひなみさんの絵もステキですー
No title
文の妄想日記…要するに中身は文霖SSですね分かりますww
しかし天狗や神様との宴会かぁ…霖之助さんの肝臓が心配ですわ(・ω・;)
しかし天狗や神様との宴会かぁ…霖之助さんの肝臓が心配ですわ(・ω・;)
No title
いやはや長々とお待たせしてすみませんでした&素敵な文霖SSありがとうございました!
いつか霖之助とのイチャイチャ日記が実現できるよう頑張れ文ちゃん! しかし、まさか「ほえ~」がそのまま採用されるとは……w
いつか霖之助とのイチャイチャ日記が実現できるよう頑張れ文ちゃん! しかし、まさか「ほえ~」がそのまま採用されるとは……w
「奇跡を見せてやろうじゃないか!」と言いつつ店主との仲を縮めていくんですね、分かります。
自分で頼んでおいて見とれるだなんて、どれだけ霖之助さんが好きなんですかこの文ちゃんは。えぇい可愛いじゃないかちくせう。
自分で頼んでおいて見とれるだなんて、どれだけ霖之助さんが好きなんですかこの文ちゃんは。えぇい可愛いじゃないかちくせう。
No title
↑またキンケドゥかww前回のssの件があったし道草さんガンダム好きなのか?だったら同志だ。それとこれはいい文霖ですね
No title
いやぁ、文ちゃん可愛いですね。
で、山伏衣装の霖之助さんは大丈夫だったんでしょうか
こう、持ち帰りで争奪戦とか起きなかったのか心配です
で、山伏衣装の霖之助さんは大丈夫だったんでしょうか
こう、持ち帰りで争奪戦とか起きなかったのか心配です
No title
あの絵からこの想像力・・・やはり天才か・・・
No title
ニコ静のひなみさんの絵から来ました!
狡い姿を見せてる裏で妄想新聞を書いちゃう文ちゃん可愛い!www こんな可愛い子に想われてる霖乃助がうらやましいですo(*´д`*)o
狡い姿を見せてる裏で妄想新聞を書いちゃう文ちゃん可愛い!www こんな可愛い子に想われてる霖乃助がうらやましいですo(*´д`*)o